組織の限界


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ケネス・J・アロー「組織の限界」を読んだ。

ヴィルフレド・パレートの意味での効率性を達成する ための社会システムである価格システムに対して、

組織とは、価格システムがうまく働かないような状況の 下で集団的行動の利点を実現するための手段である ケネス・J・アロー「組織の限界」p.52

と述べられる。

人間の欲望と価値の協同的測定の不可能性であり、 そして、相互伝達の不完全性である。
同p.38

という基本的な事実に由来する不確実性によって、 価格システムはうまく働かなくなり、組織の限界も 自ずとそこに関係する。

「情報チャネル」「シグナル」「符号化様式」といった語に 表れているように、組織は情報の抽象過程として捉えられる。
符号化様式は組織という抽象過程の判断基準であり、それを 共有することで組織が成立する。
組織の構成要素である個人もまた組織であり、抽象過程が 重なり合う中で、判断基準に折り合いをつけることの困難と、 コストとベネフィットのトレードオフによる、抽象される 情報量の制限が、上に引用した協同的測定の不可能性と 相互伝達の不完全性である。

近代以降、専門分化と局所の大域化によって、組織による 効率性の追求が目指されてきたと言える。
これらが固定化に陥ると、

効率性のみの追求は、いっそうの変化に対する柔軟性と 感応性の欠如につながるかもしれない 同p.80

ということになる。
一方で、権威の存在や集団の形成は効率性のためであり、 固定化を打破するにあたって、単にこれらを無くせばよい というわけでもない。

近代というTruthの時代の反省を活かすとすれば、効率性を 諦めるのでもなく、効率性に固執するのでもなく、

不満足な解決とは、よりよい解決をつくり出すために必要な 情報収集を刺戟するために必要なものなのかもしれない。
同p.78
われわれの合理性を十分に保持するためには、確実性 なしに行動することの重荷を支えなければならない。
そしてわれわれは、過去の過ちを認め、方向を変更する 可能性をつねに開いておかなければならない。
同p.49
必要とされるのは「情報と意思決定ルールの循環」である。
同p.103

と述べられているように、組織しつつ行動しつつ変化しつつという、

「多態性を維持しながら、固定化と発散を繰り返す。」
An At a NOA 2017-10-02 “政治的スペクトル

を続けるのが、Post-truthの時代らしいのではないかと思う。
権威と責任に関連した再審査グループの提案もその一貫だろう。

近代の組織が浸透した世界に、限界を意識した組織が循環する ようになるまで、何年かかるだろうか。