copyrightとcopyleft


[tag:]

著作権Copyrightは18世紀初頭のアン法によって始まった。それは複製技術の高度化(写本からグーテンベルクの印刷術へ)とプロトコルの普及(識字率の上昇)の影響で生まれた。

一方、コピーレフトCopyleftはリチャード・ストールマンによって20世紀末に広められた。これもまた、複製技術の高度化(アナログからデジタルへ)とプロトコルの普及(インターネットの誕生)の影響で生まれた。

あるプロトコルによって符号化可能なものは複製可能性を帯び、プロトコルの共有範囲と複製の再現度が、オリジナルとクローンの関係を決める。おそらく、オリジナルのオリジナルたる所以は、複製可能性から漏れるところにしかない。それは複製技術やプロトコルの制限、あるいは逸脱や飛躍によって失われる情報であり、すべての情報がコピーできないところにだけオリジナリティは残る。デジタルが複製の完全性を指向するのであれば、情報をデジタイズすること自体がオリジナリティを放棄することにつながっており、オリジナリティはその都度の逸脱や飛躍によって維持するしかない。

複製の不完全性がはらむ発散の中にこそ、芸術の萌芽があるのである。
An At a NOA 2017-04-30 “芸術と技術
あらゆることに理由付けられることで複製は完全になり、技術と呼ばれるようになる。
(中略) 逆に、複製過程において理由がわからない部分があると複製は不完全となり、芸術と呼ばれるようになる。
An At a NOA 2017-06-14 “芸術と技術2
一種の「わからなさ」が芸術を芸術たらしめ、すべてを「わかった」とすることが技術を技術たらしめる。
An At a NOA 2017-07-31 “芸術と技術3
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず 世阿弥「風姿花伝」p.103

抽象過程についての詳細が明らかになっていないこと自体が、抽象過程の芸術性となる。意識や生命の複製方法が詳らかになったとき、それでもこれらは「神秘」であり続けられるだろうか。