リアリティのダンス
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アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」を観た。
思い出す、夢見るという行為は、記憶となった過去を現在へと再投影することであり、一種のバックプロパゲーションである。
一次視覚野から高次視覚野への順伝播によってモデル=記憶=過去が形成されるとともに、高次視覚野から一次視覚野への逆伝播によってモデルと入力の誤差が確認され、モデルが調整される。このプロセスは、何かを視認するときに常に起こっているものだが、同じことが過去と現在の間や、ある人間と別の人間の間といった、コミュニケーションが成立するあらゆる場所で起こっているように思う。
リアリティとは、順伝播と逆伝播のコミュニケーションを介してモデルが調整されながら、コンセンサスがその都度確認されるプロセスである。
現実は、コンセンサスが得られることによって立ち上がる。コンセンサスが得られている様を現実と呼んでもいいくらいだ。
An At a NOA 2016-11-28 “現実”
この映画はホドロフスキーが提示する一つのモデルであり、それがフィクションなのかノンフィクションなのかということはあまり問題ではないように思う。ホドロフスキーの記憶、今のホドロフスキー、ホドロフスキーの家族、映画を作った人間、映画を観た人間といった様々なもの同士のコミュニケーションの中で、色鮮やかに提示された一つのモデルが軸となって生じる躍動が、リアリティのダンスなのではないか。