名付けられぬ逸脱
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マジョリティとは、特定の観測点からみた集合の一次近似であり、一次近似による単純化の写像をまとめたものが常識である。観測点の周囲だけであれば十分よい近似になるが、空間軸や時間軸に沿って離れるほど、基本的には近似の精度は悪化していく。
近似への高次項の付加は、マイノリティを認識することによる常識の拡張であり、それは近似精度の向上をもたらす。しかし、近似されたモデルと元の集合の差異は解消するとは限らず、モデルは際限なく複雑さを増していく反面、モデルからの逸脱はいつまでも残り続ける。LGBTTQQIAAPの文字列は、どこまで長くなれば性的指向のMECEなモデルが完成するだろうか。それが完成するという発想そのものが、近代的なマジョリティの信念であるようにも思う。
名付けられぬ逸脱を捉えるためには、結局、その逸脱に近づくしかないのかもしれない。それは、常識を拡げるというより、元の常識にとっては逸脱である観測点の近傍で形成される別の常識とのデュアルスタンダードを生きる、というイメージに近い。究極的には天才の所業であるかもしれないが、それは近代的な個人であることにすがろうとするからなのだろう。
時空の遥か彼方までを一つのモデルmodelで大域的に近似できるというのは、モードmodeの時代たる近代modernの基本前提であったが、単一のモデルの複雑化だけで解決しようとする代わりに、観測点の異なる複数のモデルをもつようになっていくだろうか。そのとき、個人の、民族の、国家の、人類の同一性identityは、どのように維持されるだろうか。