プロトコルの統一


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2016年現在、英語ができることはある一定の優位性をもつものとして 扱われている。
これは、現時点での人間間の通信プロトコルの中で、英語が最も汎用性が 高いものと認識されていることによると思われる。

将来的には、しかもかなり近い将来という意味において、 この優位性は漸減していく可能性が高いと見積もるのは妥当に思える。
それは、翻訳というプロトコル変換が技術的に可能であり、またそこに リソースが割かれるだけの理由が十分にあるように思えるからである。

遅く見積もっても100年もすれば母国語の如何によらず、 コミュニケーションによる不利益を被らない世界は実現できる。
主要な言語にとっては50年もあれば十分過ぎる。
現在はどちらかというとプロトコルは統一される傾向が強調されるが、 プロトコル変換のコストが下がった世界ではむしろ個々人の使用する プロトコルはコミュニティ毎に多種多様であっても不便が生じにくく、 発散する可能性も十分にあると考えられる。

ただ、このような世界における異種プロトコル間での通信では、 最大公約数的な意味しか伝達できないと考えるのが妥当だ。
一方のプロトコルではその像に含まれるものが、他方のプロトコルでは 含まれないということは有り得る。
その場合、両プロトコルの像の積集合のみを像とするしかない。

以前、単一プロトコルへの危惧についての記事を書いたが、 自動翻訳が完璧なまでに普及し、ユーザ層以外の部分でプロトコル変換により その単一性が実現される場合にも、同種の懸念は生じるものと思われる。