忙却の彼方
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理由付けを実装することで、意味付けにおいて暗に埋め込まれて
いる正義を暴くことが可能になると同時に、正義の無理由性も
明らかになってしまうことで自滅への道が拓かれるのだとしたら、
理由付けなど捨ててしまえということになるだろうか。
それはつまり、意識を放棄するということだ。
短期的には判断基準を固定化する必要もあると思うが、
特定の基準に収束させ、それを永続化させる必要は全くない。
答えを出すのに忙しく、問いを立てることを忘れた先には、
スイッチが押された後の世界が待っている。
そこは、時間がなく、空間のみが広がる忙却の彼方である。