感覚への織り込み


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「人間にしかできないこと」がなくなったとしても、 「人間がやるべきこと」はなかなか消滅しないように思われる。

それは、何かをしたことの受け手に人間が含まれる限り、 「人間がやった」という事実が情報として織り込まれることが 重要だとみなされるためである。

かつて、トルコ人という名のオートマタは、人間がやったものを 機械がやったふうにみせたが、それがばれるとやはり当時の人間は がっかりしたのだろうと想像する。
それがいつの間にか機械が高性能になり、機械がやったものを 人間がやったふうにみせ、それがばれるとがっかりする時代になった。
トルコ人が流行った200年前から、目や耳等の知覚センサはほとんど 変化していないように思うが、感覚センサはだいぶ変化したということだ。
このスピード感が、物理的身体によらない心理的身体レベルでの エラー導入の強力さである。

おそらく、VRの問題は、知覚ではなく感覚の問題である。
そういう意味では、近距離信仰の話やセックスの話も同根である。
VRやARをやるのであれば、デバイスの開発よりも、「現実」とは何か という問題に、もう少し真剣に取り組む必要があるだろう。
無意味に耐えられない人間の特性を上手く利用すれば、 今の技術レベルでもいろいろな「現実」の在り方を探れるはずだ。