不安な個人、立ちすくむ国家


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こういった資料が国をつくる側から出てくるのはとてもよいと思う。
データの取り扱い等、大事だが細かいツッコミはさておき、 国が進むべき方向を示せなくなったことを、国側が発信できたのは 大事だと思う。

「権威が規律」の時代が「早すぎる変化」に対応できず、 進むべき方向を共有できなくなることで集団が崩壊する。
進むべき方向を示せているのはむしろ民間で、Googleや Amazonを筆頭に、集団を形成できるだけの絵を描けている。

現代ではこういった絵を描く役割が、政治家から企業に移って きている気がする。
企業といってもソニーやトヨタのような伝統的なところではなく、 GoogleやAmazonのようないわゆるテック企業の面々だ。
An At a NOA 2016-03-05 “絵を描く

かといって、Google I/O 2017であれだけAIを前面に押し出されると、 ちょっと辟易してしまうが。
変化速度というのはある程度ゆっくりでないと滑らかに接続できない のかもしれない。

生存、労働、消費といった、「やらなければならないこと」という ハードウェアは、主義によって示される進むべき方向がなければ 急速になくなっていき、何もしなくてよくなった人間にとって、 意識は不要なものになり得る。

何もしなくてよいというのは、如何にして行動をし続けるかを目指して 形成されてきた判断機構=意識に対する、究極の試練となるように思われる。
An At a NOA 2016-06-15 “労働価値のコンセンサス

意識というのは、常に現在に対して不満を覚える必要があって、 完全に満足した現在を認識したら、意識はその役目を終えて 消え去ることができるのではないかと思う。
AIによって不満が次々と解消されていくのは、判断基準としての 意識にとってはある種の恐怖だという認識はもっていてもよい。

資料の末尾において、じゃあどうすべきかという議論がなされるが、 それを国家ができなくなったというのが論旨の一つだと思うので、 ハードウェアとして機能するのは必ずしも国家ではないという選択肢や、 ハードウェアとソフトウェアの区別なく秩序が形成される可能性は 考慮してもよいと思う(国を存続させるのが役人の仕事だと思えば、 そうはいかないのかもしれないが)。
国家に限らず、誰もどうすべきかを提言できなくなる時代も来るかも しれないが、マストドンで特定のインスタンスにユーザが集中する 現象を考えると、ハードウェアとして機能する中央を欲しがるという 人間の性質は根強いと思われるので、それはしばらく先だろう。
そうなると、「秩序ある自由」の状態にはなかなか移行できないが、 そもそも、近代において国民国家Nation-stateとともに生まれた 個人individualという単位は、「秩序ある自由」の時代に存続し得る のだろうか。

現在に対する不満への問いだけが、何もしなくてよい状態で意識を 存続させるのであれば、責任、自由、集団、個人といった既存の概念が 成立し続けるか否かも視野に入れて考え続けるしかない。
この資料が話題になって、この種の問いが広がることが、この資料の 最大の役目と言えるだろう。