VALU
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小飼弾がVALUのリードエンジニアに就任したと聞いて、
VALUというサービスを初めて知った。
こういうサービスは、多くの人間が生きていく上で
お金を稼ぐ必要がなくなった時代に、有り余った
時間の中で意識を失わないために、お互い何とか
好奇心を稼ぎ合うという文脈で現れるイメージだ。
AIによる共産主義の上に人間が乗っかるような社会が実現したとき、 人間への、というよりは、意識への究極の試練が訪れる。
An At a NOA 2016-07-05 “随想録1”
投資をする側は、自分では思いつかない発想を得る、
あるいは単に持て余した暇を潰すため、投資をされる
側は、周囲からのレスポンスによって次の好奇心を
かき立てるため。
好奇心と時間とお金は、長期的にみればこの順に枯渇するだろうし、 この順に自分以外の力で補填することが難しいと思われる An At a NOA 2017-01-31 “好奇心”
好奇心とは、通信できる差異を望むことである。
An At a NOA 2017-06-02 “好奇心”
好奇心は例外なく、固定化への反発としての創造的
破壊であるから、炎上手法と呼ばれるのは仕方がない。
まだまだ生きるためにはお金を稼ぐ必要がある
時代に、このサービスは継続できるのだろうか。
株式市場のようなものとして認識されることで、
お金のためのサービスになってしまうのでは、
結局はパラダイムシフトが起こらない。
貨幣経済というパラダイムにとどまったままでは、
貨幣という権威に屈することで、「個々が好き勝手に
振る舞うことが全体の調和をもたらすシステム」が
出来上がる前に瓦解するのではないかと思う。
「奇」とは、凡人の価値観を超絶したものに 与えられる形容でなくてはならない。
三木成夫「胎児の世界」p.143
あと、「暴力と社会秩序」の文脈で言うと、
発散=暴力の制御を個人に振り分けるのは、
国家から共同体への逆行のようにも思える。
むしろ、非属人化をさらに突き進めて、
物理的身体を単位とせず、形成されては
解体される「個人」の発揮する好奇心が
取引対象になるのも、面白そうである。