現代社会の理論
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見田宗介「現代社会の理論」を読んだ。
固定化した局所へと収束していくゲマインシャフトが、
通信によって互いに接続されることによって抽象され、
それぞれが発散しながら、ゲゼルシャフトとして再構成
されることで、近代社会が形成された。
加速する合理化の中で、局所の集積が大域という一つの
ものとして認識されるようになると、それはもはや、
新種のゲマインシャフトとでも呼ぶべき、新しい一つの
固定化した局所へと収束していくことになる。
特定の合理化へと加速度的に固定化していく近代社会の
次にあると想定される集団形態の一つが、ある合理化
から別の合理化へのつなぎ替え可能性を保ちつつ、
固定化と発散を繰り返すような社会である。
「自然」であれ「文化」であれ、欲望を限定し固定化 する力からの自由 見田宗介「現代社会の理論」p.28
によって古典的な資本主義の矛盾を乗り越えた、
自分で自分の無限定の成長と繁栄のために設定する無限空間 ―人間たちの現実的な必要を離陸する〈欲望の抽象化された 形式〉、あるいは〈欲望のデカルト空間〉とは、このような 〈消費のための消費〉、〈構造のテレオノミー的な転倒〉の、 純化され、洗練され、完成された形式 同p.62
である〈情報化/消費化社会〉としての現代社会は、
そのような社会であるように思う。
現状の現代社会が、物質とエネルギーの外部からの
入力および外部への出力によって、自身の固定化と
発散の過程を維持していることを問題として指摘し、
情報化された消費のダイナミズムという抽象過程の
固定化と発散そのものを本質と見据えた転回を図る
という著者の主張には納得がいく。
無相の情報を有相の情報として抽象する過程自体が
限りなく生命的であり、中でも、つなぎ替え可能性を
有する理由付けという抽象過程に人間らしさがある
ことを考えれば、それは自然なように思われる。
バタイユが蕩尽と呼んだ抽象の連鎖としての生命は つまり、不可逆過程によってエントロピーを外部へと 排出する過程であり、
〈他の何ものの手段でもなく、それ自体として生の歓び であるもの〉 同p.136
と換言される〈消費〉の原義は、生命の本質が
エントロピーにあることを述べたものだと言える。
現状の現代社会が、未だ物質とエネルギーのやり取り
に関して大規模に過ぎ、もっと収奪的でない方向へと
進むことができるとは思うが、不可逆過程の前後での
エントロピー差が、入力エネルギーと出力エネルギーの
エントロピー差として現れることを考えると、外部
からの収奪がない生命はあり得ないと思われる。
さらに、
資源は有限だが、情報は無限である 同p.152
という主張に含まれる、エントロピーは無限に増大 できるという仮定が成立するようにみえるのは、
地球もまた一つの抽象過程=生命であり、太陽放射や 潮汐によって入力されたエネルギーと宇宙へ放射される エネルギーのエントロピー差によって地球上のエントロピー 増大を防いでいる。
An At a NOA 2017-06-02 “パリ協定”
という事実を忘れているだけである。
生存条件の維持にとって決定的なことは、エネルギーの枯渇 ではなくあくまでもエントロピーを増加させないメカニズムが エネルギー(熱)を媒介として作動していることにある。
山本義隆「熱学思想の史的展開」p.335
という指摘を、常に念頭におく必要がある。
遥かかなたの太陽内部において、核融合によって
生成されたエネルギーは、地球上の至るところに
まんべんなく降り注いでいる。
物質を含むエネルギーの移動を最小限に抑えつつ、
地球外へとエントロピーを放出することで、固定化
から逃れた奢侈な蕩尽を各々が全うできるように
なったとき、近代社会の後継者としての、本当の
現代社会が訪れるのだろう。
その次には、地球にとっての外部たる宇宙空間の
限界が訪れるだろうことも、歴史的に明らかだと
思われるが、人類が滅びるのとどちらが先だろうか。