ユートピア
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トマス・モア「ユートピア」を読んだ。
一つの視点だけで「よい」ものを定めることは難しい。
ラファエル・ヒスロデイがユートピアをよいものとして
語れるのは、彼が(つまりは著者自身が)ヨーロッパ
という比較対象をもつからである。
それに対してユートピア人は、あえて視点を固定し、
近代以上に大きな物語を共有することで、静的な秩序に
向かうことを「よし」としているようにみえる。
それは、飢餓や病気からの快復による快楽にも増して、
健康こそは至上の快楽である トマス・モア「ユートピア」p.121
という快楽観にも表れている。
あらゆるものが「よい」状態に落ち着くことができる社会
において、意識が実装され続けることはあるのだろうか。
意識というのは、常に現在に対して不満を覚える必要があって、 完全に満足した現在を認識したら、意識はその役目を終えて 消え去ることができるのではないかと思う。
An At a NOA 2017-05-19 “不安な個人、立ちすくむ国家”
壊死しつつある静的な秩序は生命らしさを失うと思われるが、
意識を維持するために発散を許すことと、何かしらの視点で
「よい」ものになるために意識を手放すことと、どちらが
「よい」だろうか。
トマス・モア自身、ヒスロデイに向けて、あるいはエラスムス に向けて、
私は、別の機会をつくってこの問題を論究したい、そして もっと忌憚なく話合ってみたいといった。
本当に、その機会がぜひ近い将来に来ることを私は切に 祈らざるをえない。
それまでは私はまだまだ彼が言ったことをすべてそのまま 承認するわけにはゆかない。
トマス・モア「ユートピア」p.182
と問いかけることで、発散への道をひらいたままにした。
生命的であることが「よい」ものであるというのもまた一つの
視点でしかないが、「エレホン」、「すばらしい新世界」、
「都市と星」、「ハーモニー」などの多くの作品を通じて、
いろいろな視点が折り重なりながら時代を超えて続いている話し合いは、
意識にとっての最も生命的な在り方の一つだと言えるかもしれない。