「シェア」の思想


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「「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係」
を読んだ。

カギ括弧付きの「シェア」が流行する前にも、 地縁や血縁などによるシェアは存在してきた。
ある種のシェアがカギ括弧付きで「シェア」と 表現されるのは、それがオーソライズされた 制度から外れたシェアであることによっており、 そこには構造の変化がみられる。

しかし、その構造が固定化し、オーソライズ されてしまえば、「シェア」はシェアに戻る。
「シェア」が「シェア」であり続けるには、 固定化と発散の間での構造の絶え間ない変化が 必要であり、論考を寄せた各人が目指している のは、そういった状態なのだろうと想像する。
「シェア」は、笑い遊び俳諧化グロテスクといったものの系列にある。

群論的な発想で、同型射が保つ構造に着目した 構造主義が、必然的に固定化した構造を扱うこと しかできなかったのに対し、圏論的な発想で、 構造の変化を捉えようとしていると言うことも できるかもしれない。

「洗練」の問題はやはりクリティカルだと思う。
「シェア」の語りがどれだけ生き生きとして、 思考に訴えるとしても、結果として示された モノが身体に訴えるかは別問題である。
人間が二重の存在であるからには、語りと示しの いずれか一方のみを追求すればよいということでも ないように思う。