物語の摂取
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羽生善治永世七冠(12/05)「将棋そのものを本質的にはわかっていない」
— Hiroharu Kato (@hiroharu_kato) 2017年12月6日
Google DeepMind(12/06)「将棋をマスターした AI 作った」
Mastering Chess and Shogi by Self-Play with a General Reinforcement Learning Algorithm
StockfishやElmoとAlphaZeroのイロレーティングを比較したグラフを
見ると、Elmoの方はAlphaZeroが一割程度上回っているのに対し、
Stockfishの方は両者のレーティングがほぼ同じ値である。
チェスにおける理由付けはほとんど大域的最適化ができているという
ことかもしれない。
StockfishやElmoのような、評価関数を利用するアルゴリズムと違い、
深層学習という理由が顕にならないアルゴリズムは、「理解」せずに
「マスター」することを可能にした。
そこは、無意識や自然と同じ、理由なき世界である。
一方で、人間は、理由という物語に飢えている。
囲碁も将棋も運転もコーヒーを淹れるのも、どれだけ性能のよい
機械が出てきたとしても、人間がやったということ自体が価値を
もつことがあるのは、その情報を受け取るのが人間だからだろう。
感覚には、味覚、嗅覚、視覚等の五感センサの処理結果 だけでなく、豆の産地や誰が淹れたかといった情報も まとめて抽象できる。
その結果、AIが淹れたものよりも人間が淹れたものの方が 美味しいと「感じられる」ことはあり得る。
それでよいのだ。
An At a NOA 2016-11-20 “知覚と感覚"
たとえ他人という外部を介したものであっても、理由付け機構の
下にあるという理由付けが、理由付け機構である意識にとっては
価値をもつ。
「理解」とは、物語を摂取するプロセスであり、すべてが一意的に
理由付けされることもなく、理由付けが放棄されることもない状態
でのみ作動している。
意識というのは、常に現在に対して不満を覚える必要があって、 完全に満足した現在を認識したら、意識はその役目を終えて 消え去ることができるのではないかと思う。
An At a NOA 2017-05-19 “不安な個人、立ちすくむ国家”
意識だけが理由を気にするのだとすれば、それを続けることでしか、 意識は意識たることを噛みしめることができないと思われる。
An At a NOA 2016-12-23 “モデル化の継続”
この記事自体もまた、 一つの「理解」である。