時間の非実在性
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ジョン・エリス・マクタガート「時間の非実在性」を読んだ。
永井均による注解と論評は未読だが、こちらも面白そうだ。
時間が実在しないことについては同意できる。
しかし、A系列よりはB系列の方が時間にとっては本質的
なのではないかと思う。
それは、エリオット・リーブとヤコブ・イングヴァソンの
「エントロピー再考」における議論から、B系列のような
向き付けられた順序構造とエントロピーが関係しており、
時間とはつまり常に増大するエントロピーのことなのかも
しれないと思われるからである。
最終的には棄却されるとはいえ、A系列のような、過去・現在
・未来というモデルを展開すること自体、かなりの無理を
抱えているように思う。
事象は常に過去として抽象されるのであり、それが未来である
状況はあり得ない。そういった描像は、過去として抽象された
事象を眺める視点をその事象以前に置いたり、媒介変数としての
時間のみを扱ったりするといったシミュレーションの中でしか
現れない。
現在とは、過去として抽象された事象が、抽象されたという事実を
基にして、当然あるべきものとして想定され、便宜的に名付けられた
ものに過ぎない。
その点では、現在は自意識と同様である。
(おそらく空間における「ここ」もそうである)
個人的な時間観については
An At a NOA 2016-11-18 “思い出への補足”
An At a NOA 2017-01-02 “意識に直接与えられたものについての試論”
に書いた。
実在においては、C系列、つまり向きを有しないB系列が存在し得る
ということには同意できる。
意味付けは空間、理由付けは時間にそれぞれ対応するという予想が
妥当だとすると、物理的身体は事象をC系列としてしか認識せず、
B系列として認識するのは心理的身体だけということになるが、
どうだろうか。
An At a NOA 2016-07-07 “情報の割り振り”
C系列がB系列として向き付けられることは、エントロピーを導入することと
同値であるはずだが、それは何故、どのようにして起こるのだろうか。
それは充足理由律と何か関係があるだろうか。
p.s.
この論文は1908年に書かれたものだが、折しもアインシュタインが
特殊相対性理論を発表した当時である。
マクタガートは特殊相対性理論についてどのくらい知っていたのだろうか。