QUERY: 工学

科学・技術・工学 そういったエラーを認識した上で、日常生活に技術を落とし込む ことこそ、工学と呼ばれる学問のなすところである。 この事実を見過ごしたまま、技術不足により発生した事故を
科学・技術・工学 そもそも不確定要素の多いこの世界にあって、 今送ることができている生活の基礎に、一体どれだけの工学的知見・工学的判断が 積み重ねられているだろうか。
構造 建築を含む工学の分野では、構造という言葉は
キャリブレーション 現代では実験の再現解析というものがよく行われるが、その再現性に対する 工学的な指標はないに等しく、また再現性を高めるための方法論も確立していない。 しかし、上記の方法が可能になると、実験データを基に解析用の構成方程式の
サイバネティックス 外界と連絡している」。(p.101) それは通信の理論として取り扱うことが可能で、通信工学では 入力、出力とも統計的な情報として扱われることから、非可逆的な
東京大学制作展2016 工学部2号館で開催中の東京大学制作展2016を見てきた。 それぞれが考えていることを、何とかかたちにしようという
カンデル神経科学第2章 可塑性仮説にも触れられる。 医学よりも工学寄りなので、こういう話とのつながりも見えてくるあたり、 とても参考になる。
工学的 この記事を読んでいて漠然と思ったのは、 無意識というのはとても工学的だということだ。
工学的 理屈による理解とは無関係、一定のエラーが避けられない、 等の特徴を有しており、それは理学よりも工学に似ている。 逆に、理由付けに基づく意識は理学に近いとも言える。
工学的 現在、人工知能が工学的に実装されることが多いことは、
工学的 記事において、ボットだけでは対処ができないと予想しているのは、 ボットを制御する人工知能が工学的である限り、どれだけ技術が 進展したとしても、理屈が抜けていたり、常に一定のエラーを含んだり、
知の編集工学 松岡正剛の「知の編集工学」を読んだ。 松岡さんの書き物としては、千夜千冊をよく読むのだが、
モデル化の継続 今更ながら振り返ると、理学ではなく工学の方が性に合っていたなと 感じられ、こちらに進んできてよかったと思う。
バグのないプログラム 可能だろう。 しかし、工学的には「十分に気を付ける」の十分性を 満たすためのコストが、コードの規模と間に挟まる
予知 理由の連鎖を提示して、初めて推測は科学的になる。 工学の研究、あるいは人工知能による判断は、この点が 紙一重であることが多いが、それが科学と呼ばれるか
都市の脆弱性が引き起こす激甚災害軽減化 理学、工学、社会科学の三分野が連携ということだったが、 それぞれのプレゼンを聞いている限り、割と個々の問題に
芸術と技術2 そうとも限らない。 むしろ、工学の多くはA∩Bの領域にあるだろう。
理学と工学 デファクト・スタンダードによる抽象を「予想」や「仮説」 と呼んで区別するのに対し、工学では比較的デファクト・ スタンダードの比率が大きく、デジューレ・スタンダードと
理学と工学 もちろん、理学と工学という区別自体、割と新しいもの だと思うので、私見による大雑把な比較でしかなく、
理学と工学 理論は全く知らないのに優れたものを作る状態の間に、 理学者、工学者、設計者、技術者、職人といった、 いろいろな「専門家」の括りがあるだけである。
批判的工学主義の建築 藤村龍至「批判的工学主義の建築」を読んだ。
批判的工学主義の建築 これは人工が自然化した状態だとみることができ、 工学主義的建築とは、距離空間というデータベースに 高度に依存することで自然化しつつある建築のことだと
批判的工学主義の建築 このような状況において、距離空間の変化を受け入れ つつ、制御しながら再構成していくのが批判的工学主義 の建築であり、その方法として「超線形設計プロセス」
ロボット工学と仏教 森政弘、上出寛子「ロボット工学と仏教」を読んだ。
読む・打つ・書く 論文という断片を著書として体系化した経験はまだないが、学会での口頭発表のような速報的なものを査読付き論文にまとめる過程は、ささやかではあるが断片の体系化である。また、専門の建築構造分野では研究成果が設計に直結するケースもよくみられるので、論文→著書だけでなく、論文→設計というかたちでの断片の体系化もあるだろう。 建築の構造設計では、法律・指針・力学などの様々な体系に照らして安全であることを示すことが必要になる。すべてを既存の体系の枠組の中だけでやろうとすれば、当たり障りのない無難な設計に留まらざるを得ない一方で(壊死)、チャレンジングな設計をする際に既存の体系を全く無視していては、工学的・社会的・経済的などいろいろな理由で建たなくなる(瓦解)。読む・打つを通して積み重ねた既存の体系との断片的な差分によって体系を更新することが、つまりは書くことであり、壊死にも瓦解にも陥らない活動になるのだろう。