QUERY: コンセンサス

責任という虚構 正しさや善さというのは規則のようなものによって形成される。 より正確には、「コンセンサスはすべてが明示されるわけではなく、 唯一不変であるわけでもない」といったところか。
心という難問 次の行動への指針を与えてくれる十分な説明であることが必要十分となる。 そしてそれが「正しい」とされるかどうかはコンセンサス次第だ。 この本を通して語られる眺望論と相貌論自体もまた、もっともよい説明として
相関と因果 相関関係と因果関係を峻別する方法があるとすれば、 因果の説明にコンセンサスが得られるかどうかのみである。
consensus だからと言って悲観あるいは軽視するようなことではないと思う。 次の行動に対する指針としてコンセンサスが役に立つのであれば、 それを利用して行動を続けるということがつまり生きるということなのではないか。
consensus 比較手段の決定とは、同一性の決定である。 真理、正義等も、ある同一性の上に築かれるコンセンサスでしかないが、 だからと言って悲観あるいは軽視するようなことではないと思う。
consensus 共有するだけのバッファを手に入れることができたためだ。 あるいは、社会というコンセンサスを実現できているのは、 知覚を共有するための通信手段があるからだ。
consensus 逆に、孤立した単一の知覚からはコンセンサスは生まれない。
consensus コンセンサスconsensusは、wiktionary英語版によれば、 consentio=con+sentio、つまり「知覚の共有」から来ている。
consensus 同一のセンサが異なるタイミングで知覚したものの共有もまた、 コンセンサスを形成しうる。 逆に、孤立した単一の知覚からはコンセンサスは生まれない。
consensus 人間というセンサに意識というコンセンサスが実装できたのは、 神経系という通信路に発生する、異なる二つ以上の知覚を
統合 政治は唯一絶対の正義というものを振りかざしがちな気がしてならない。 その幻想を解き、次の行動に向けてどういったコンセンサスをとるのかを 決め、統合失調症に陥らないようにしないといずれ瓦解する。
統合 統合失調症と呼ぶのであれば、社会としてコンセンサスが 取りづらくなっている現代は、統合失調症的な状況に
統合 一つの人体の中でのコンセンサスがとれなくなる状態を 統合失調症と呼ぶのであれば、社会としてコンセンサスが
ベーシックインカム2 勤労の美徳というコンセンサスが得られなくなった時代がきたら、 あのときはまだ早かったと振り返ってもらえるだろうか。
思考のパターン化 創造性というのはコンセンサスが常に不完全にしか実現しないことの表れである。 逆に、もしそれが完全なものとして実現できてしまうのであれば、他我の境界は
共有されない知覚 そして、おそらくだが、近代はそれを精神病と呼び始めたのだろう。 コンセンサス=知覚の共有が意識あるいは社会等のことなのだとすれば、 これはある意味で防衛である。
逆転 では、コンセンサスと判断の逆転にはどんな名称が与えられているか。 それは多分、「支配」のような概念に近い。
逆転 「偽善」とは、善いことに関するコンセンサスをでっちあげること。
逆転 「正」、「善」、「美」、「真」とは、あるコンセンサスに至っていること。 「不正」とは、正しいことに関するコンセンサスに反すること。
逆転 「不正」とは、正しいことに関するコンセンサスに反すること。 「偽善」とは、善いことに関するコンセンサスをでっちあげること。
共通感覚論 アリストテレス以来、中世までは注目されていた共通感覚の面を 再発見するという点で、コンセンサスについての話の参考になる。
労働価値のコンセンサス お互いにそれを嫉妬とみなすことも可能だが、真理と同様、 豊かさもまたコンセンサスによってその意味が形成される。
労働価値のコンセンサス いることは、決して幻想として切り捨てることはできない。 むしろそういったコンセンサスを成立させ続けることが 意識であり、社会であり、その同一性を担保する。
労働価値のコンセンサス 労働価値が勤労の美徳というコンセンサスに支えられて いることは、決して幻想として切り捨てることはできない。
労働価値のコンセンサス それに近づいていないだろうか。 その原因は、資本主義だけなのか、労働価値のコンセンサス自体なのか。 共産主義の失敗は労働価値を捨てきれなかったことが原因なのではないか。
労働価値のコンセンサス 意識であり、社会であり、その同一性を担保する。 コンセンサスの急変はそういったものの崩壊につながるため、 変化は緩やかにしか起こせない。
義務教育の限界 時代、場所に応じて、コンセンサスが得られていく中で、 その判断内容が決まっていくものだ。
義務教育の限界 道徳心も愛国心も一意的ではないし、その判断が先行して コンセンサスを取っていくものでもない。 時代、場所に応じて、コンセンサスが得られていく中で、
ベーシックインカム3 それはもちろん、願わくは皆が「ある程度の上級者」になったあらゆる 人間同士が話し合う中で、コンセンサスを形成することにより決まっていく。 財源等のテクニカルな話は、「正しさ」の方針が決まった後であれば、
プログラミング教育2  ・コンピュータに正しい、美しい等の概念をもたせる上手い方法が実装されていない。   これはむしろ実装している人間側の問題な気がするが、こういったコンセンサスに   基づく概念を一台の孤立したコンピュータ内で成立させるのはほぼ不可能だ。
意味付けと理由付け いずれもコンセンサスによるものという点では同様だが、 「意味付け」と「理由付け」は違った表現として用いている。
意識的 動機や手法等、あらゆる説明の真性はコンセンサスにより決まっていき、 唯一不変のものではない。
平和 すべては理由付けなしに意味付けされているのと同じことになる。 コンセンサスが一通りしか生まれないのであれば、個体に意識を 実装しておく必要性に乏しい。
切り分け 個人と社会というかたちに切り分け、個人が集まることで社会が生まれると想定する。 個人主義と社会主義の違いは、コンセンサスが2種類あるという仮定の下で、 そのバランスの振り方によって生み出される。
切り分け 一つ一つの身体の中でのコンセンサスと、身体間でのコンセンサスを、 個人と社会というかたちに切り分け、個人が集まることで社会が生まれると想定する。
切り分け そのバランスの振り方によって生み出される。 個人主義も社会主義もそれぞれに問題を抱えているが、それはコンセンサスに ある線引きをしなければならないという問題設定からの自然な帰結なのではないか。
随想録1 言語は、コンセンサスを形成するのに用いられると同時に、それ自身に関する コンセンサスもまた、通信する度に更新されていく。
随想録1 宗教は、神という抽象された原因をおくことで、あらゆる説明の原点とした。 科学は、コンセンサスによって得られる真理を、可能な限り遠くにおくことで、 宗教への対抗を体現している。
随想録1 生きることがエントロピーの増加への抵抗なのだとすれば、 意味付けや理由付けによりコンセンサスを形成し、情報の自由度を下げること自体、 生きることそのものだとも言える。
随想録1 集団であるとみなすことが一般的になっている。 いずれもコンセンサスの得られる様を実体化した概念であるが、 あまりにその実体化が行き過ぎ、両者の線引きを頑なに行おうとした結果が、
随想録1 コンセンサスもまた、通信する度に更新されていく。
随想録1 複数の人間が集まり、集団を形成する。 そこでは、一つの人体の中と同じように、コンセンサスをとおして真理が 形成される。
随想録1 真理とは、ある集団において、通信をとおして成立していく コンセンサスのことを言うのであり、常に通信が先行する。
随想録1 無意識も意識も、どこかに存在する何かではない。 コンセンサスという語がcon-sensus=知覚の共有のことなのだとすれば、 無意識も意識も、一つの人体の中で常に生じているコンセンサスのことである。
随想録1 無意識も意識も、一つの人体の中で常に生じているコンセンサスのことである。
随想録1 処理される現象に過ぎないと考えるよりは、情報も、それを受け取るセンサも実在し、 受け取った情報に意味付けと理由付けを施すことで得られるコンセンサスを 意識とみなしていると考えるほうが健全だと思われる。
随想録1 しかし、そのコンセンサスは、コンセンサスと呼ぶにはあまりに揺るぎない。
随想録1 神という大いなる原因は、どれだけ近くにあっても疑いなく真である。 その点で、真理とはコンセンサスによって形成されるという点をよく表している。 しかし、そのコンセンサスは、コンセンサスと呼ぶにはあまりに揺るぎない。
電子顕微鏡 センサの拡大に伴い、現実あるいは真理というコンセンサスの 領域もまた拡大することができる。
真理の唯一性 もし真理が一つしかないように見えるのであれば、 それはその真理についてのコンセンサスをとっている もの同士のセンサ特性が概ね同じであるためである。
表現形式 センサ特性の僅かな違いが目立ってしまい、 いつまでも真理のコンセンサスに至らない可能性もある。
音楽 表現が固まっていくような、あるべきコンセンサスの姿が垣間見える。
音楽 あれが、純粋に音楽だな、と思えた。 歌い手と指揮者、あるいは歌い手同士のコンセンサスをとる中で 表現が固まっていくような、あるべきコンセンサスの姿が垣間見える。
美と合理性 建築は、そういった構造の話もあれば、意匠、計画、設備、 音響、等々、様々な集団内あるいは集団間のコンセンサスで 成り立っていく。
美と合理性 合理性が構造技術者あるいは構造の研究者という集団の 中でのコンセンサスによっておおよそ固まっていく一方で、 建築は、そういった構造の話もあれば、意匠、計画、設備、
美と合理性 真も美も合理性も、ある集団の中でのコンセンサスにより 決まってくるものである。
第四の壁 センサの定位情報とセンサへの入力情報の間での 意味付けというコンセンサスが「今、ここ、私」を生む。 仮に、3km南の視覚情報が、頭の回転とは逆方向に変化
第四の壁 第四の壁は、この二つの情報のコンセンサスを断絶することで 「今、ここ、私」を消し去る。
第四の壁 VRでは、そのコンセンサスを技術的に補い、第四の壁を迷彩 することで「今、ここ、私」を仮想している。
機械人間オルタ そして、この対象と通信する中で、私はどのような コンセンサスを得られるだろうか。 端的に言えば、どのようなコンセンサスが、
機械人間オルタ 端的に言えば、どのようなコンセンサスが、 そこで成立しているのだろう、という問に集約される。
なぜなぜ期 これをコンセンサスって呼んでいるけど、 例えば「なんで空は青いの」という質問に対して、
なぜなぜ期 だから、その「なんで、なんで」を大切にしながら、今ある コンセンサスと上手くつきあっていくのがよいと思うよ。 』
なぜなぜ期 こうやってコンセンサスを取りながら、この世を秩序あるものと して理解しようとする姿勢が、つまり生きるってことだし、
なぜなぜ期 粒子で散乱されやすいからなんだよ」 って答えるのも、そういうコンセンサスが科学として 成立しているからなんだ。
なぜなぜ期 そうやって、多くの人に支えられたコンセンサスをくつがえす っていうのは大変なことなんだ。
なぜなぜ期 前の人だ。その人がこの説明をしてから、何百万、何千万 という科学者がそのコンセンサスを保ってきている。 そうやって、多くの人に支えられたコンセンサスをくつがえす
なぜなぜ期 コンセンサスが得られていることを正しいと呼ぶんだ。
なぜなぜ期 正しいからコンセンサスが得られるんじゃなくて、 コンセンサスが得られていることを正しいと呼ぶんだ。
なぜなぜ期 ときには新しい理論ができたりしてくつがえることもあるけど、 それもまた、古いコンセンサスの上にちゃんと乗っている。
augmented そのセンサ特性の差異がある閾値を超えたとき、 知覚に関するコンセンサスが得られないという判断に 陥ってしまうことが多い。
augmented センサ特性が異なるシステム同士でもコミュニケーションを 介したコンセンサスの成立が可能なことは確かだ。 しかし、それはセンサ特性が似通った場合に比べて、
augmented そのことを自覚し、それでもそこに何らかの区別を設定しようと いうコンセンサスをつくるのであれば、もちろんそれはそれでよい。 しかし、そのことに無自覚なままいたのでは、これからますます
箱庭 困難を伴うことは歴史が雄弁に物語っている。 しかし、科学は、コンセンサスありきの議論に基づく宗教への 反省として生まれたはずである。
箱庭 その役割を果たす。 それが故に、コンセンサスを動かすのが大変な 困難を伴うことは歴史が雄弁に物語っている。
箱庭 コンセンサスは、それが一見不動であることによって その役割を果たす。
パートナーシップ 思うし、わかりやすさは大差ない。 特に、「コンセンサス」を「合意」に置き換えてしまうと、 con-sensus=知覚の共有という感じがなくなる
パートナーシップ センサ特性をキャリブレーションすることにより、 コンセンサスをつくり上げることだと言える。
パートナー というのは特別神秘的な話ではない。 ただし、異なる身体間でのコンセンサスを得るための情報通信量は 膨大であろうから、長年連れ添った夫婦のような間でしか見られない
パートナー partio(share,part; divide)やpars(part, piece)に由来するらしい。 上記のようにして得られたコンセンサスは、私でもなければあなたでも ないものになる可能性があり、それはお互いがある全体のpart=一部を
パートナー コンセンサスに基づいて個人の意識ができるのであれば、二つ以上の 身体間でのコンセンサスによっても、ある種の意識と呼べるものができる
パートナー 身体間でのコンセンサスによっても、ある種の意識と呼べるものができる というのは特別神秘的な話ではない。
文体の科学 しかし、よりシンプルで、より多くのことを説明可能なモデル化があれば、 コンセンサスはそちらに移行していく。正しさとはそういうものだ。
理不尽な進化 そもそも理由付けそのものが壮大な「なぜなぜ物語」である。 それが荒唐無稽であるかどうかは、コンセンサスによって 判断されるしかない(しかし、コンセンサスが成立していることが
理不尽な進化 判断されるしかない(しかし、コンセンサスが成立していることが 重要なのであり、科学は如何にしてコンセンサスをとるべきか
理不尽な進化 重要なのであり、科学は如何にしてコンセンサスをとるべきか に対して極めて慎重である)。
ぼくらは都市を愛していた 理由付けという抽象により意識がみせる現実は、通信を介した コンセンサスによってしかその現実性を担保できない。 これは別に、現実の虚構性として悲観するようなことではなく、
生命のチューリングテスト 生命のチューリングテストは、究極的にはコンセンサスに基づくしかない。 それは、現実というものの在り方の基本である。
LSD LSDを服用すると、それまで得られていた人体センサ間の コンセンサスにずれが生じ、両者を取り違えてしまうのだろう。
表現の自由 その表現によって、表現者がどんな責任を負わされているのか についてのコンセンサスが得られない限り、 集団から表現の自由を与えられることはないのだろう。
細かすぎて伝わらないモノマネ 意味付けのレベルでセンサ間(一つの人体の中でも、人体間でも)の コンセンサスが取れるようになると、より現実になれるのでは。
常温核融合 有無である。 コンセンサスが正しさを決めるのだから、正しいかどうかではない。 意味付けできるほどの量の情報が得られない現象に対しては、
常温核融合 科学と似非科学の違いは、理由付けに基づくコンセンサスの 有無である。
意識の並列化 一つに決めることと同義である。 コンセンサスとは、一つに絞ることである。 正しさも、現実も、意識も、今も、ここも、わたしも、たった一つで
境界条件 一方で、何を良いものとするかについてのコンセンサスをどこにするかは 時間の都合で理由付けによるしかない。
エビデンス フォーマットが定まらなければ符号としての意味をなさないのと同じである。 判断基準というフォーマットに関してのコンセンサスをとることが、 それをエビデンスとする「正しさ」を決めることに他ならない。
right / correct rightの概念は少し違っていて、小坂井敏晶の表現を 借りれば、「コンセンサスが得られている状態」 のことを言うのである。
right / correct PCの名の下に、rightの概念を持ちだして、しかも、 コンセンサスの成立とそれをrightと形容することの 順序を逆転させると、つまらない争いがおきるのだろう。
理由 理由とは、コンセンサスの名残である。
理由律 理由律とは、下される判断は何かしらの コンセンサスに基づくはずだとみなす信念 ということになる。
理由律 データが少ない状態においてこれを模擬するために、 コンセンサスがあったことにして、整合性を後から 取ることで、実際にコンセンサスがあった場合と概ね
理由律 これが、コンセンサスが先行する「正規の」判断 機構であり、圧倒的に大量のデータがある場合には
理由律 意味付けでは、複数のセンサへの入力情報を元に特徴 抽出することで、コンセンサスを形成し、判断を下す。 これが、コンセンサスが先行する「正規の」判断
理由律 それと同時に、本来名残であるはずの理由が、 逆にコンセンサスを生み出しているという錯覚の 源にもなる。
理由律 そのコンセンサスは予め明らかになっていなく てもよく、後から整合性を確かめることで
理由律 取ることで、実際にコンセンサスがあった場合と概ね 同じだとみなすのが、理由付けということになる。
非同期処理の同期化 すべての抽象過程=短絡は本来投機的なのかもしれない。 複数の短絡をまとめ、コンセンサスをとることで堅実的に 近づいていく。
抽象 通行することによって次第に減っていく。 同じ短絡路を通るというのはコンセンサスが 生じていることに対応する。
抽象 反復の少ない短絡は、コンセンサスを仮想し、 その幻影を頼りにしているように見える。
空間 ポアンカレの言う充足的視覚空間では、網膜が二次元を生み、 その間に生じるコンセンサスからもう一次元が生まれる。 そうだとすれば、一次元の入力しか得られない器官からは
空間 そうだとすれば、一次元の入力しか得られない器官からは コンセンサスを含めても二次元空間しか立ち上がらない。
自由度 通信によって生じるコンセンサスは、非同期処理の同期化であり、 それは理由付けに限らず、あらゆるレベルの抽象過程において
自由度 コンセンサスが全く無い状態においては、抽象過程の数だけ 自由度が存在することで、次元は正の無限大に発散する。
自由度 時間もまた、心理的身体ごとに固有のものであってもよいが、 異なる心理的身体との通信によってコンセンサスがとられ、 一つのものに集約される。
自由度 すなわち、空間の多様性に関する自由度もまた、コンセンサスに よって低下する。
自由度 もし網膜や皮膚から入力される情報を一つに集約するように コンセンサスをとっていたら、空間を一次元として認識することも 可能だっただろう。
自由度 それがユニークなものとして認識されるのは、異なる物理的身体 同士が通信することで、コンセンサスをとるためである。 すなわち、空間の多様性に関する自由度もまた、コンセンサスに
自由度 一つの抽象過程は一つの自由度を生む。 それが同期化される、すなわちコンセンサスが生じることで、 低次元多様体に写像され、次元が低下する。
自由度 人間の物理的身体を構成する細胞は、それらが集合として受け取る 情報の次元が三次元になるようにコンセンサスをとることで、 物理的身体という細胞の集合としては、空間というものを
現実 しっくりくる。 それはつまり、現実を構成するためのコンセンサスをとる通信相手と して、新しい種類の抽象機関を用意することで、「実質的に」立ち上げ
現実 現実という言葉を持ち出す唯一最大の目的とも言え、当該 コンセンサスに無関係な事柄はその現実にはいないとみなしても 差し支えない。
現実 ここで言う現実はもちろん一つである必要はない。 むしろ、コンセンサスが得られていることを確認することが、 現実という言葉を持ち出す唯一最大の目的とも言え、当該
現実 コンセンサスが得られている様を現実と呼んでもいいくらいだ。
現実 現実は、コンセンサスが得られることによって立ち上がる。 コンセンサスが得られている様を現実と呼んでもいいくらいだ。
現実 複数の物理的身体/心理的身体間における通信によって得られる コンセンサスからも現実は立ち上がり、これが一般的に現実と 呼ばれるものだ。
現実 通常の現実においては、複数の抽象機関が同じ情報を抽象し、その内容の 同一性によってコンセンサスが生まれるが、新種の抽象機関においては、 相手の抽象が既に行われた状態でこちらが抽象を行うことになる。
スタジオカラー10周年記念展 より大きいコンセンサスへの希求としてのアウラは、 充足理由律と同根だろうか。
スタジオカラー10周年記念展 いわゆるアウラなのだろうが)は、それでもあるのだろうか。 現実を構成するためのコンセンサスの幅が狭いと言うので あれば、それを補強することだってできる(ニコニコ動画は
形骸化 一旦抽象し、圧縮した正義を持ち寄ると、意外とすんなりと すり合わせができて、抽象のレベルではコンセンサスが 取りやすいように思う。
現実・同時・同地 現実という言葉によってコンセンサスが得られていることを 確認するとき、それが同一の情報を抽象した結果得られた
ゆとり教育 そして、設定した基準が絶対的なものでないことを知るからこそ、 時には譲歩することで、コンセンサスとしての判断が下せるようになる。
生命、エネルギー、進化 重要ではなく、その科学的態度の誠実さがよいのだ。 むしろ、コンセンサスが得られている様を正しいと形容 するのであれば、誠実な科学的考察に基づく推論こそが
予知 似非科学と呼ばれるのかは、「十分なめらか」であるかに ついてのコンセンサスが得られるかどうかにかかっている。
意識の実装 試行回数に比べて多くなった結果、情報間の コンセンサスを従来の方式で成立させるのが 難しくなり、投機的短絡としての意識を実装
理由の生成 理由を生み出し続ける。 理由によって投機性が概念化され続ける様は、コンセンサスを とる過程であり、これが人間でいるために他人に依存する
人はなぜ物語を求めるのか そのようなコミュニケーションの究極に、あらゆる 領域でコンセンサスがとれた状態としてのエクスタシーが あるのだろうか。
ブロックチェーンとしてのSNS コンセンサスに基づく履歴が連なった記憶は、 ブロックチェーンとしての役割を果たす。
ブロックチェーンとしてのSNS 真性を得ることになる。 正しいからコンセンサスに至るのではなく、 コンセンサスが得られている様を正しいと
ブロックチェーンとしてのSNS コンセンサスが得られている様を正しいと 形容するというのは、そういうことだ。
意識と本質 サルトルの言う「嘔吐」は、人間がコンセンサスの名残りを欲し、 無意味に耐えられないために起こり、それを回避するために人間は
意識と本質 表層意識Aにのぼり、現実と呼ばれるようになる。 そのときのコンセンサスの名残りが理由である。
意識と本質 中間地帯Mで投機的短絡によって発散するつなぎ方のうち、 他の心理的身体との通信でコンセンサスが成立したつなぎ方が 表層意識Aにのぼり、現実と呼ばれるようになる。
マジョリティ 「マジョリティが正しいとは限らない」という言明の裏には、 「正しいからコンセンサスに至る」という誤った仮定が 含まれているように思われる。
ASMR 感覚器官のコンセンサスによって成立すると 考えれば、「亜絶頂」とか「半絶頂」のような
ASMR セックスにおける絶頂がすべての感覚器官の コンセンサスを目指すのに対し、ASMRは一部の 感覚器官のコンセンサスによって成立すると
ASMR (今回は視覚と聴覚のみ)の一致度が高い、つまり 視覚センサと聴覚センサのコンセンサスが高純度で 成立している状態が鍵になるのではないかと思う。
リアリティのダンス リアリティとは、順伝播と逆伝播のコミュニケーションを介してモデルが調整されながら、コンセンサスがその都度確認されるプロセスである。
合意と合理 冒頭の事態はいずれも、コンセンサスが 取れていないことの言い換えである。
合意と合理 前者を「合意」、後者を「合理」と呼ぶと、 コンセンサスとは、ただの「合意」ではなく、 判断と判断基準の両方が一致した状態、
ヨーロッパ的普遍主義 ことだったのに対し、普遍的普遍主義においては、その 都度判断基準をすり合わせることでコンセンサスに至る 努力を続けることが集団を維持することになる。
AI vs. 教科書が読めない子どもたち 人間による理由付けも、一種のエラー導入であり、バグ であることには違いないが、コンセンサスをとる機構に よって、correctではないものをrightなものにすることで、
AI vs. 教科書が読めない子どもたち 判断基準の変化の容易さと、変化した判断基準に関する コンセンサスがとれることの両方によって、つまりは 理由を気にすることで、人間は人間らしくなっている。
情報共有 限られることで、特有の言語や常識の形成を 通して、判断基準についてのコンセンサスを 迅速に成立させることが可能になる。
情報共有 していないため、その情報をどのように 抽象するかについてコンセンサスを取る ためにはコストがかかり、それは効率の
情報共有 コミュニケーションのコストが変わらないと すれば、判断基準のコンセンサスに関する 効率の高さとは、つまりコミュニケーション
批判的工学主義の建築 でのコミュニケーションは強烈かつ高速であるから、 距離空間の再構成に関するコンセンサスをとるための コミュニケーションに模型という物理的存在を介して
ちのかたち 超線形設計プロセスのある切断面を実現するしかないため、 時間軸方向のコンセンサスの形成が課題となる。 これは、実現した切断面が「正義」として埋め込まれて
かき氷シロップ センサ間に成立するコンセンサスのことを 現実と呼ぶならば、近代の要素還元主義は、
群盲象を評す 謗りを免れないかもしれないが、「同じ」である というコンセンサスに至ることをもって実とする 他はないように思う。
群盲象を評す 一匹の同じ象はコンセンサスがみせる虚像である という発想の裏にこそ、実なる唯一不変のものが