QUERY: 通信

読書録  攻撃 悪の自然誌  通信の数学的理論  チューリングの大聖堂
本棚  小飼弾「本を読んだら、自分を読め」  暗黒通信団「円周率百万桁表」「素数15万桁表」
本棚  J.サスマン他「計算機プログラムの構造と解釈」  C.E.シャノン「通信の数学的理論」  フォン・ノイマン「計算機と脳」
hIE クライアントサイドには今のスマートフォン程度の性能で足りるだろう。 現状大きく不足しているのは通信部分かもしれない。 安定していて、高速で、あらゆる場所で有効な無線通信網が整備される必要がある。
hIE 安定していて、高速で、あらゆる場所で有効な無線通信網が整備される必要がある。
p.s. 情報といえば、「通信の数学的理論」で有名な ワレン・ウィーバーの言に、以下のものがあるらしい。
通信 SFで、身体が機械化されているのに通信が音声を 介しているものとして描画されるものは
移動 Skype等を利用することで、わざわざ出張せずとも、電話や手紙よりも 情報量の多い通信が可能になった。 この後30年間で、情報の方を移動させることで人間を移動させずに
移動 済ませるという傾向はさらに進むだろう。これはコストの問題だ。 人間と人間が直接合わないと通信できないという時代は、 言語を発明した時点から終わり始め、近年の益々広がる遠距離通信による
移動 言語を発明した時点から終わり始め、近年の益々広がる遠距離通信による 伝達可能情報量によりそれは加速されている。
ビットコインの身代金 現実の世界でも、人間は最初は小さな集落を形成していた。 これはインターネットが普及する前のパソコン通信に近いだろう。 その後、現実世界での国家の誕生と符合するように、
内なる声 声に出して読んだほうが符号化の冗長度が上がることで、 通信速度は遅くなるものの情報の欠損が起きにくくなる ということだろうか。
通信の数学的理論 長らくちゃんと読めていなかったシャノンの 「通信の数学的理論」を読んだ。
社会としての忘却 通信速度の速さを競う一方で、こういったアクセスの速度を制限しようというのは 矛盾しているようだが、無矛盾でないからこそ、幅広い問題に対処できるのかもしれない。
プロトコルと実装 通信において、使用するプロトコルに多様性がある場合と、 送信前、受信後の処理に多様性がある場合とがある。
大企業 企業というのは大きくなるほど身動きが取りづらくなる。 慣性が大きくなるのは指示系統が長くなることで通信における 送受信の信頼性が下がるからだ。
ゼロレーティング 記事中では通信の中立性という言葉が出てくるが、 連邦通信委員会(FCC)がそれに対して規制をかけているというのが
ゼロレーティング 連邦通信委員会(FCC)がそれに対して規制をかけているというのが どうなんだろうとは思う。
ゼロレーティング どうなんだろうとは思う。 通信によりどんなデータを享受するかというのは個々人が 気にかけるべきところだ。
サイバネティックス 外界と連絡している」。(p.101) それは通信の理論として取り扱うことが可能で、通信工学では 入力、出力とも統計的な情報として扱われることから、非可逆的な
サイバネティックス 同地性を解消するためのコミュニケーション手段ではまだまだ多くの情報がフィルタ されていると感じられるが、それは通信速度と処理速度の問題だけであって、 解決可能だ。しかし、同時性を解消するコミュニケーションは、人間の内部に
インフラの解放 インターネットをインフラだと見る人は、LINEという特定の1社が インフラの一部を占拠することで他の通信を圧迫するような事態を 引き起こす可能性を指摘することで、LINEの対応を問題視している。
通信方式 それはもしかしたら、会話に用いるプロトコルで上記2点が当然担保されていると 無条件に前提していること、むしろそれを前提することで通信が成功していると 半ば信仰していることと、本質的には同じなのかもしれない。
通信方式 もちろん、通信の種類によってはセキュリティに関する性質が追加されること等が あると思うが、上記2点の性質を満たせない通信は、通信としての用をなさない。
通信方式 あると思うが、上記2点の性質を満たせない通信は、通信としての用をなさない。
通信方式 1に関しては、送信者が意図した意味と受信者が受け取った意味がずれることは 仕方がないものの、その間、つまり通信プロトコルにのっている間に変化がおきない ことが重要である。
通信方式 2に関しては、単一でも複数でもよいが、送信者を特定しようと思ったときに 特定が行えない通信というのは通信内容の意味がなくなる。 受信者に関しては、不特定の相手への通信という形態があるため、必ずしも特定
通信方式 受信者に関しては、不特定の相手への通信という形態があるため、必ずしも特定 しなければならないわけではないが、特定の受信者へ送信したいときにそれが
通信方式 会話、電話、FAX、電子メール、SMS、LINE、どれも通信を担う一プロトコルである。 電子メール以降に挙げた3つはインターネット経由でのデータ送受信がメインであり、
通信方式 通信がその役割を果たすために重要なことに下記2点があると思う。
通信方式 検索の問題等も出てくる。そういう用途ではプロプライエタリなプラットフォーム上でしか 通信できないものは避けるのが無難だ。
通信方式 ということを、上記のツイートを見たときに思ったのだが、生まれたときから インターネットが普及していた世代とは通信観が違う可能性は大いにある。 それはもしかしたら、会話に用いるプロトコルで上記2点が当然担保されていると
通信方式 最近では電子メールはもう克服しただろうか。 仕事での利用となると、通信の秘匿性の問題、送受信内容の保存の問題、送受信履歴の 検索の問題等も出てくる。そういう用途ではプロプライエタリなプラットフォーム上でしか
プロトコルの統一 扱われている。 これは、現時点での人間間の通信プロトコルの中で、英語が最も汎用性が 高いものと認識されていることによると思われる。
プロトコルの統一 ただ、このような世界における異種プロトコル間での通信では、 最大公約数的な意味しか伝達できないと考えるのが妥当だ。
一堂に会する 存在しなかった(少なくともメジャではなかった)。 インターネットの誕生後、コンピュータの処理速度や通信速度の急発展により、 バーチャルという選択肢がそこに加わった。
OS 人間が近代的な人間像から抜け出すのも、同程度以上の困難をはらんでいるに違いない。 もしこの比喩が妥当なものであるなら、通信速度の爆発的上昇は、人間のシンクライアント化を もたらすだろうか。
consensus 共有するには二つ以上の知覚するもの(センサ)が必要になり、 大ざっぱに言えば、共有は通信段階と比較段階に分けられる。
consensus 人間というセンサに意識というコンセンサスが実装できたのは、 神経系という通信路に発生する、異なる二つ以上の知覚を 共有するだけのバッファを手に入れることができたためだ。
consensus あるいは、社会というコンセンサスを実現できているのは、 知覚を共有するための通信手段があるからだ。 それはもちろん言語に限らないし、どちらかと言えば、言語は
consensus 知覚の共有方法がそのあり方を決めることになるが、 現時点でのいわゆるセンサの多くは、通信手段の実装に比べて、 知覚同士の比較手段の実装が遅れていると感じられる。
統合 これまでは政治家の間でそのような運用がされてきたのかもしれないが、 通信速度の向上、あるいは範囲の拡大に伴う弊害が出ているように感じる。 比較手段の発達の遅れが著しいあたり、センサと同じ状況なのかもしれない。
telexist 通信時間の都合上、センサの入力からセンサへの指示までに 人体の場合よりも時間がかかるのは確かだが、その遅延は
telexist 各センサに入力された情報は回路を経由して 通信装置に送ることができるものとし、 逆に通信装置から回路を通じてセンサの位置や方向を
telexist 逆に通信装置から回路を通じてセンサの位置や方向を 変更できるものとする。
telexist 人間の脳に別の通信装置を接続し、この機械を 別の場所に置いた上で、2台の通信装置を介して
telexist 組み合わせた機械があるとする。 その機械には動力と通信装置を装備しておき、 プロセッサは不要とする。
telexist もし、元の人体の神経系に対する脳からの通信を 遮断すれば、慣れるための期間は要するものの、
telexist 別の場所に置いた上で、2台の通信装置を介して 情報をやり取りすることを考える。
Churchill 機能していると思われる(国によるが)。 下りの通信が正義を固める一方で、 上りの通信は正義を揺るがす。
Churchill 上りの通信は正義を揺るがす。 上りの通信を制御できなくなった正義には
Churchill 通信経路の多様化と通信速度の高速化は 正義の分裂をもたらし得る。
Churchill 帝国の一体化に寄与したが、それは通信が 下りに特化していたからだろう。
Churchill これは江戸徳川の参勤交代制にも言える。 現代では、上りの通信路も下りと同程度に 機能していると思われる(国によるが)。
Churchill 上りの通信を制御できなくなった正義には もはや破滅の道しか残されていない。
Churchill 正義の分裂をもたらし得る。 古代ローマ帝国では道が通信路となり、 帝国の一体化に寄与したが、それは通信が
随想録1 真理とは、ある集団において、通信をとおして成立していく コンセンサスのことを言うのであり、常に通信が先行する。
随想録1 言語は、コンセンサスを形成するのに用いられると同時に、それ自身に関する コンセンサスもまた、通信する度に更新されていく。
随想録1 異なる人体同士の間では様々な通信手段が用いられるが、他の動物等と 比較して最も特徴的なものが言語だろう。
随想録1 形成していくことは可能である。 もちろん、それは通信を行った集団の中においてのみである。
随想録1 コンセンサスのことを言うのであり、常に通信が先行する。
計算機と脳 ノイマンは神経系が二つの型の通信、つまり「論理」と「算術」に 分かれており、前者を言語、後者を数学に対応させる。
イノセンス フィクションで言えば、攻殻機動隊シリーズ、森博嗣、伊藤計劃、 それ以外で言えば、「通信の数学的理論」、「生命とは何か」、 「生態学的知覚システム」、「ゲーデル、エッシャー、バッハ」あたりだろうか。
生命とは何か シュレーディンガーが「生命とは何か」を書いたのが1944年であり、 シャノンが「通信の数学的理論」を書いたのは1948年であった。 このあたりからエントロピーが情報や生命と結び付けられるようになったのだと
機械人間オルタ どのようなセンサをどのくらい積んでいるのだろう。 センサ間の通信はどのくらい行われているのだろう。 その統合の仕方はどのようになっているのだろう。
機械人間オルタ その統合の仕方はどのようになっているのだろう。 そして、この対象と通信する中で、私はどのような コンセンサスを得られるだろうか。
カンデル神経科学第2章 これがある閾値を超えることで、能動的で離散的な活動電位が生じる。 このあたりは「計算機と脳」の中でも、周波数変調の通信系の一種として 描かれていた。
パートナー というのは特別神秘的な話ではない。 ただし、異なる身体間でのコンセンサスを得るための情報通信量は 膨大であろうから、長年連れ添った夫婦のような間でしか見られない
ぼくらは都市を愛していた 時代はなおさらそうだっただろう。 情報技術の発展により通信の手段が増え、速度が増したが、それが返って混乱を生み 情報震を招くというのは何とも皮肉的だ。
ぼくらは都市を愛していた 無意識=自然の状態において、現実を構成するための手段が〈田舎〉だった。 それは通信を強制するという常識によって現実を維持する。 その後、理由付けにより意識を実装したヒトが創り出した最高傑作が〈都市〉である。
ぼくらは都市を愛していた 情報震は、通信を阻害し、共通意識の場を破壊することで、現実を崩壊させた。
ぼくらは都市を愛していた 理由付けという抽象により意識がみせる現実は、通信を介した コンセンサスによってしかその現実性を担保できない。
意思決定 各々が自身の分野に関しては責任をもち、他分野との連携の ために通信を行うという形式は、こういった細分化が進んだ 領域では望ましい。
意思決定 領域では望ましい。 話す言葉が少しずつ違う者同士での通信は確かに多少の困難を 伴うが、それでも目指すべき方向が定まっていればそれは
自衛 法を整備しておくのは大事だが、いざ運用しようとすると 膨大な作業量が発生することや、そもそも通信の秘匿性と バッティングしたりで難しいということなのだろう。
科学と文化をつなぐ 果たして人工知能に人間と同じencoderを実装すべきだろうか。 プログラミング教育が目指すべきところは、decodeされた情報通信への馴化に あるのかもしれない。
ネイティブ 遠隔地同士の通信技術で言えば、 1980年代は、コンピュータはまだ個人で所有することが一般的ではなく、
ネイティブ ゲームボーイが1989年から奮闘しているのはさすがである)。 移動に依存せずに通信が行える一方で、通信の発達によってむしろ移動 しなくて済むようになることを、モバイルネイティブの世代はどのように
ネイティブ 外で遊ばないことや引きこもることが問題視され始めた時期でもあった ように思う。通信手段のおかげで外に出ずに済むようになっただけでなく、 そういった情報が伝達できるようになった影響も大きいだろう。
ネイティブ 最近はVRやARといった技術も盛り上がりを見せており、視覚や聴覚についても 同様のことが行われることで、通信技術は内側へ内側へと侵入している。 別の側面では、クラウド化の進行に伴い、端末はシンクライアントとして、
GNMTというプロトコル 通信をしても最初はあまり上手くいかないだろうが、物理的身体の センサ特性の共通性によって、少しは成功する部分があるはずである。
GNMTというプロトコル 言語は、それを用いる集団にとっての無意識のようなものだと言える。 通信内容が変化すれば、当然評価機関の判断も変わるので、 言語は時代や場所によって少しずつ変化していく。
GNMTというプロトコル センサ特性の共通性によって、少しは成功する部分があるはずである。 通信するたびに蓄積した情報が圧倒的大量なものになることで 特徴抽出が進行し、やがて実用に耐える評価機関になる。
GNMTというプロトコル そもそも、自然言語という通信プロトコル自体が、各個体ごとに 展開された理由付けの抽象過程間の通信時に用いられる、
GNMTというプロトコル 展開された理由付けの抽象過程間の通信時に用いられる、 人体というニューラルネットワークを利用した自動翻訳にもみえる。
GNMTというプロトコル それぞれが投機的短絡によって下した判断の内容を通信する。 投機の度合いや短絡の経路が異なるため、通信なしにはもちろんのこと、
GNMTというプロトコル 投機の度合いや短絡の経路が異なるため、通信なしにはもちろんのこと、 通信をしても最初はあまり上手くいかないだろうが、物理的身体の
GNMTというプロトコル それは、老夫婦のようなパートナーの間にしか実現できない 以心伝心のような情報通信の可能性も拓くだろうか。 そのとき、“プロトコルと実装”や“プロトコルの統一”で挙げたような
非同期処理の同期化 原子、細胞、物理的身体、社会等の様々なスケールにおいて、 どの粒度で通信過程を見るかによって、堅実的短絡と投機的 短絡がそれぞれ何に対応するかは変わるのだろう。
自由度 それがユニークなものとして認識されるのは、異なる物理的身体 同士が通信することで、コンセンサスをとるためである。 すなわち、空間の多様性に関する自由度もまた、コンセンサスに
自由度 時間もまた、心理的身体ごとに固有のものであってもよいが、 異なる心理的身体との通信によってコンセンサスがとられ、 一つのものに集約される。
自由度 通信によって生じるコンセンサスは、非同期処理の同期化であり、 それは理由付けに限らず、あらゆるレベルの抽象過程において
現実 複数の物理的身体/心理的身体間における通信によって得られる コンセンサスからも現実は立ち上がり、これが一般的に現実と
現実 しっくりくる。 それはつまり、現実を構成するためのコンセンサスをとる通信相手と して、新しい種類の抽象機関を用意することで、「実質的に」立ち上げ
教育の抽象化 量があまりに多い場合には、それを言葉という プロトコルで送信することで、通信量を可能な限り 減らす必要がある。
教育の抽象化 維持しておけるので、言葉やその内容、あるいは 通信媒体が劣化するまで、比較的長い期間、 メンテナンスが不要になるというメリットもある。
言葉使い師 言葉は、意識間の通信に使用されるプロトコルの 一つであり、その中でも圧縮率の高いものである。
言葉使い師 意識と意識の間で圧縮されて伝わった情報は、 それぞれの意識によって伸長されることで通信が 完了するが、伸長の際には実装ごとの差異が生じる。
シャッター街とショウルーム 減らすことの代償として、確認の回数を増やすことになった。 また、郵便、電信やネットワーク等の通信の発達とともに、確認は 同時に行う必要もなくなり、両者は完全に切り離せる状態にある。
文化進化論 獲得するプロセスに通ずるところがある。 個体内での通信では構造が発生せず、個体間での通信によって のみ構造が発生するとしたら、どこに違いがあるのだろうか。
文化進化論 のみ構造が発生するとしたら、どこに違いがあるのだろうか。 通信が不完全であることに鍵があるだろうか。
理由の生成 供給されなければ消えてしまう。 境界内での通信では投機性の傾向が近く、この過程が早期に 収束してしまうが、通信が境界外まで及ぶときには異なる
理由の生成 収束してしまうが、通信が境界外まで及ぶときには異なる 投機性に触れることで発散や振動する可能性がある。
理由の生成 他人という感覚は、通信における投機性の概念化が維持 されることから生まれると言えるだろうか。
人はなぜ物語を求めるのか だが、「寒いね」という言葉に対して「寒いね」と 答える会話と同じように、通信可能な状態にあることや、 同じ情報を同じかたちで抽象していることを確認する
暴力と社会秩序 ノードは非属人化されることで代入可能な場所となり、 金融、運輸、通信といった何かが動くこと自体の方に 重きが置かれるようになってきた。
人工知能の無意識と意識 固執するように人間が移行してしまう方がディストピア感がある。 人工知能のことを心配するよりも、無意識的な短絡を広範囲に通信 できるようになってしまったことで、失言や炎上が増えたように
人工知能の無意識と意識 コミュニケーションを成立させている。 人間の通信圏に、人間と同列なかたちで人工知能の個を 導入しようと思ったら、無意識的な部分と意識的な部分の
人工知能の無意識と意識 もう一方を人間が補完するという選択肢も取れるだろう。 そうやって少しずつ、人間以外の人間的な通信手が増えるのは それほど危惧すべきことではないように思う。
子どもに接するように 他でもあり得る有相を含んだ有相として無相を 抽象するのが、子どもに接するように通信する ということであり、そこにディストピアとして
子どもに接するように ことではなく、子どもと親の双方の判断基準が更新 し得る状況で通信を成立させるというイメージだ。
義務教育 心理的身体層のプロトコルは、音楽や言語等、多岐に 渡り、親子や友人といった様々な関係における通信に よって次第に形成され、常に変化している。
義務教育 義務教育は、心理的身体層における通信プロトコルを 共通化するためのインストーラのようなものだ。
義務教育 教育に英語が導入されたように、プログラミング教育を 導入する意味は、通信自体の変化や通信主体の追加に 伴う通信プロトコルの変化への対応という文脈で捉える
義務教育 国家を集合として成立させ続けるにあたって、 通信プロトコルを維持するための試みが義務教育の 目的の一つであり、そこでは教師から生徒への通信
義務教育 目的の一つであり、そこでは教師から生徒への通信 プロトコルの伝授や、生徒間での通信プロトコルを
義務教育 伴う通信プロトコルの変化への対応という文脈で捉える 必要があると考えられる。
義務教育 用いた通信の実践がなされる。 具体的な個々の知識はもちろん蔑ろにできないが、
義務教育 国家を閉じた集合とみなせなくなり、新しい通信主体 として外国人を想定する必要が生じたことで、義務
義務教育 よって次第に形成され、常に変化している。 プロトコルは通信するノードの集団ごとに共有されて いれば十分であり、家族内でしか通じない言葉や、
義務教育 プロトコルの伝授や、生徒間での通信プロトコルを 用いた通信の実践がなされる。
ハイブリッド・リーディング 確実に伝わる。 しかし、そういった通信プロトコルが存在しない場合には、 目、耳、手等、使えるあらゆる通信路を駆使することで、
ハイブリッド・リーディング 目、耳、手等、使えるあらゆる通信路を駆使することで、 著者の意図した有相と読者の想像した有相を可能な限り
恣意性の神話 専門家同士の通信、専門家と素人の通信、素人同士の通信では、 通信プロトコルの基盤となる共通認識が異なるため、ある場合には
恣意性の神話 観点は同一性の基準であり、通信プロトコルとなる。 無相の情報は、観点というフィルタを通過することで有相となり、
恣意性の神話 ようにみられるが、ソフトウェアでは速度が速く、観点の違いが 通信エラーを生じ得ることで観点自体が顕現し、それが理由と 呼ばれているように思う。
恣意性の神話 すべての情報を示しに頼ることなく語りのみによって記号化 できるという想定もまた、通信のハードウェア依存を解消できる という信仰、あらゆることに理由付けできるという信念である。
恣意性の神話 通信プロトコルに従った情報の落とし込みが完全でない場合、 当該記号はイメージと呼ばれる。
恣意性の神話 イメージもまた記号一般と同じように、それ自体ではイメージか 否かは判断できず、通信プロトコルとの組み合わせで決まる。 専門家同士の通信、専門家と素人の通信、素人同士の通信では、
恣意性の神話 通信プロトコルの基盤となる共通認識が異なるため、ある場合には イメージに過ぎない記号も、別の場合にはもっとはっきりとした
恣意性の神話 AlphaGoの囲碁が生まれ、「あなたの人生の物語」で描かれたような 同時的意識との通信の在り方はますます主題化しつつある。 語ることによって人間が他の存在から峻別されるのであれば、
Preserving digital art 芸術が物理的実体とともに失うのは、それに依存した示し による通信である。 ベンヤミンがアウラと呼んだものもおそらく同じであり、
好奇心 プロトコルがないため、そもそも通信できない。 通信できる程度の共通部分を有し、かつ、抽象
好奇心 好奇心とは、通信できる差異を望むことである。
好奇心 通信できる程度の共通部分を有し、かつ、抽象 特性の変化を生じ得る程度の差異を有する対象が
好奇心 自分と全く同じ抽象をする対象との通信には 差異がなく、抽象特性の変化を引き起こさない。
好奇心 差異がなく、抽象特性の変化を引き起こさない。 逆に、全く違う抽象をする対象との間には通信 プロトコルがないため、そもそも通信できない。
技術の道徳化 とみなされることで道徳の対象となってきた。 しかし、あらゆる抽象過程が相互に通信していることを 思えば、複製された抽象過程としての技術に媒介されて
都市と星 機能しないということには同意できる。 固定化に向かう秩序と通信するための 共通基盤としてのハードウェアを有しない
意識と本質 中間地帯Mで投機的短絡によって発散するつなぎ方のうち、 他の心理的身体との通信でコンセンサスが成立したつなぎ方が 表層意識Aにのぼり、現実と呼ばれるようになる。
問いと答え 問う者同士の通信は議論になり、 問う者と答える者の通信は教育になり、
問いと答え 問う者と答える者の通信は教育になり、 答える者同士の通信は口論になる。
問いと答え 答える者同士の通信は口論になる。
リズムの本質について リズムも成立しないはずだ。 「何かを同じとみなす」ときの基準は、通信を成立させることで 集団を形成し、逆に集団が存続することで基準も維持される。
科学とニセ科学 あったりしても、集団の瓦解には至らなかった。 通信が発達し、集団が大規模になるに従って、 よりシンプルな理由でより多くの対象を整合性を
〈都市〉と〈田舎〉 時間を刻むことを前提するために、わざわざ個別の 通信でそれを確認する必要がなくなったからである。
〈都市〉と〈田舎〉 神林長平「ぼくらは都市を愛していた」において、 〈田舎〉は通信を強制することで集団を維持し、 〈都市〉はそれを克服したマシンとして描かれた。
〈都市〉と〈田舎〉 〈人間は独りでは生きていけない〉という命令を、 〈都市〉が克服し、通信を断絶した状態でも集団を 維持できるようになったのは、〈都市〉に生きる
「ものづくり」の科学史 それは、全く異なる集団であったもの同士の間に、 標準という共通の通信プロトコルが成立することで、 新しい集団が形成されることによる。
「ものづくり」の科学史 そのものであることをよく表している。 標準化によって正義を共有することで通信が可能になり、 集団が維持される一方で、それは交換可能性を高め、
何を構造主義として認めるか 事象間に共通部分が見出されることで通信が可能になり、 その際、共通部分である構造は通信プロトコルとなる。
何を構造主義として認めるか と言うときの「言葉」は、言語languageよりも広い概念 としての通信規約protocolに近いと思われる。
何を構造主義として認めるか 通信プロトコルとしての言葉に着目することが構造主義者の 特徴となるわけだが、ここでは七つの規準が与えられる。
何を構造主義として認めるか その際、共通部分である構造は通信プロトコルとなる。
現代社会の理論 固定化した局所へと収束していくゲマインシャフトが、 通信によって互いに接続されることによって抽象され、 それぞれが発散しながら、ゲゼルシャフトとして再構成
共同体の基礎理論 時空間的な通信範囲や通信の種類が変化しない限り続くだろう。
共同体の基礎理論 ゲマインシャフトは、構造が固定化して埋め込まれた状態であり、 ゲゼルシャフトは、通信の変化に付随して一時的に局所と大域が 分離することで構造が顕在化した、ゲマインシャフトからゲマイン
共同体の基礎理論 いかなる局所も、通信の仕様によっては大域と同一視され得る。 通信技術は局所=大域化が可能な最大領域を決めるが、局所が
共同体の基礎理論 通信技術は局所=大域化が可能な最大領域を決めるが、局所が その最大領域に達していると認識されている状態がゲマイン
共同体の基礎理論 「固有の二元性」が必ず発生するのであれば、この状態から抜け 出し得るが、そうでない場合には、通信技術の変化によって、 時空間的な通信範囲や通信の種類が変化しない限り続くだろう。
プロトコル 通信を許可するかといった基準を含むかたちで、通信の基盤は 暗黙のうちに肥大化してしまう。
プロトコル その次には新たな善悪の基準が敷かれるだけなのかもしれないが、 通信可能性だけが残るまで削ぎ落とされたとき、潜在的virtualな 構造だけを基盤とした現実世界が、文字通りのVirtual Realityと
プロトコル 本書では、分散型アーキテクチャを有する管理=制御型社会に おける通信の基盤をプロトコルと呼び、これまでの中心化した 君主=主権型社会や脱中心化した規律=訓練型社会との比較から、
プロトコル していく可能性を検討する。 通信が成立するところには必ず通信の基盤となる同一性の基準が 存在するため、プロトコルに相当するもの自体は生命そのものと
プロトコル 表裏一体であり、デジタルコンピュータに限った話ではない。 しかし、単に通信を可能にするための基準だけでなく、どのような 通信を許可するかといった基準を含むかたちで、通信の基盤は
プロトコル 部分を男性的なものに関連付けるが、これは母権制から父権制への 移行が通信の基盤の肥大化によって生じるという見方だと言え、 分散型アーキテクチャは母権制の再来とみなせるのかもしれない。
プロトコル 分散型アーキテクチャに特徴的で、デジタルコンピュータが体現 するのは、肥大化することを抑制し、通信可能性だけに絞った 通信の基盤だと思われる。
プロトコル 通信の基盤だと思われる。
プロトコル 中心化→脱中心化→分散という集団形態の変遷は、通信の基盤を 絞り込んでいく過程であり、それは構造主義的な見方を突き詰める
プロトコル でなく現働的actualに構造が固定化する。 現働的actualに構造が固定化した集団では、通信基盤に埋め込まれた 善悪の基準が中心からの監視として現れ、集団からの逸脱が予防
プロトコル というのも、プロトコルは通信可能性のみを担保し、それ以上の 解釈を付与しないという意味では妥当である。
プロトコル 解釈を付与しないという意味では妥当である。 (ただし、通信が可能であること自体に何らかの同一性の基準という 正義が埋め込まれるという意味では、あらゆるプロトコルはどれだけ
プロトコル 削ぎ落とされようとも、不可避的に解釈とともにあり続けるはずだ) サイバーフェミニズムは通信可能性を女性的なもの、肥大化した 部分を男性的なものに関連付けるが、これは母権制から父権制への
プロトコル 意思決定プロセスに変化が生じていることを思えば、リアルな 世界でも少しずつ通信基盤からいろいろなものが削ぎ落とされ つつあるとも言える。
プロトコル 通信可能性を担保する同一性の基準は正誤の基準であり、そこに 善悪の基準が付与されることが肥大化の要因だと言えるだろうか。
プロトコル 分散型には秩序や構造がないわけではなく、中心化や脱中心化では 通信の基盤の肥大化によって現働的actualな意味での構造が固定化 しているのに対し、分散型では潜在的virtualな意味で構造が存在する。
プロトコル 絞り込んでいく過程であり、それは構造主義的な見方を突き詰める ことで、通信可能性までたどり着いた。
プロトコル しているのに対し、分散型では潜在的virtualな意味で構造が存在する。 「誤り」は単に通信不能をもたらすが、「過ち」が通信不可として 弾かれることで、集団は中心をもつようになり、潜在的virtualにだけ
ネット検索 インターネットは、通信可能性に最低限必要な同一性の基準 にまで削ぎ落としたプロトコルでつながれ得るため、ネット
ネット検索 にまで削ぎ落としたプロトコルでつながれ得るため、ネット 外のリアルな通信において暗黙のうちに想定される善悪の基準 については、各々で加味する必要がある。
下人の行方 これらはいずれも単体で善や悪であることはなく、 通信する相手、場所、時代によって変化する 善悪の基準とともに、善であるか悪であるかが
実在への殺到 ホーリズムからの脱却が図れるのだろう。 それはまた、通信プロトコルから善悪の基準が削ぎ落とされ、通信 可能性だけを担保する同一性の基準になることと同じである。
口を衝く インターネットが、通信可能性まで削ぎ落とした プロトコルによって接続されることによって
口を衝く 許容される倫理の領野に比べると茫漠としている というのは、インターネット上での通信が、つい 「口を衝いた」ものになりやすいことに端的に
紙の辞書 「この語はどのような内容に伸長され得るか」といった 共通認識が形成され、短い符号によって通信可能な 集団が成立する。
紙の辞書 集団の通信形態とともに符号化方式もまた更新されて いくだろうし、想定した集団に応じて違うものだろう。
紙の辞書 用いられる符号は簡略化されていくため、同じ言語でも 世代や地域が違えば通信に支障をきたす場合がある。 通信不全を放置すれば集団間の垣根は高くなる一方で、
紙の辞書 通信不全を放置すれば集団間の垣根は高くなる一方で、 全体として局所的な壊死へと向かうのみである。
日本の思想 増えることで、利点となることもあったかもしれないが、 外は「化けもの」ばかりであれば、やはり全体としては通信不全 による不利益の方が多いのだと思われる。
民主主義の内なる敵 社交という通信プロセスにおける受信者を置き去りにし、調整すること なしに特定の判断基準を固定化してそこに収束することは、主観的に
多層的な類人猿 現状では技術的な問題で人間が移動する必要があるが、 触覚や嗅覚などに代表される通信上の制限がなくなれば、 情報と人間のどちらが移動しても本質的には同じである。
日本の人類学 限られる。 通信手段が変化し、コミュニケーションの同時性や同地性が 必須条件でなくなると、見知らぬ相手との判断基準の共有が
日本の人類学 新しい通信手段が集団の形成の仕方を変えるとすれば、情報 革命によってコミュニケーションに対する脳容量の制限が緩和
自閉症とネットワークループ 「わかった」という大きな物語が技術として共有された結果、 個人個人が「わかる」ことなく通信謝絶に陥っていくのは、 ある種の自閉症とは呼ばないのだろうか。
通信可能性と応答可能性 言語、習慣、常識などが固定化することで 通信可能性communicatabilityが生まれ、 判断基準が発散できる状態にあることが
通信可能性と応答可能性 通信可能性と応答可能性の両方を具えている ことが生きているということであり、
通信可能性と応答可能性 ことが生きているということであり、 通信可能だが応答不可能な集団は壊死し、 応答可能だが通信不可能な集団は瓦解する。
通信可能性と応答可能性 応答可能だが通信不可能な集団は瓦解する。
脳の意識 機械の意識 さらには、ニューロンの上に実装された神経回路網における抽象 だけでなく、人間の個体同士の通信網における抽象もなければ、 我も彼も意識は意識として意識されないと思われ、言葉や道具を
脳の意識 機械の意識 我も彼も意識は意識として意識されないと思われ、言葉や道具を 用いた個体間の通信は、外部化した生成モデルとみなせるのでは ないかということを考えてしまう。
不特定の通信者 文明人は、不特定の通信者unspecified communicatorである。 不特定多数の中における特定が恐れられる原因が、不特定の通信者
不特定の通信者 不特定多数の中における特定が恐れられる原因が、不特定の通信者 からいびつな交換を迫られることにあるのであれば、特定ではなく
江戸の想像力 物理的なレベルまでP2P型であるような通信方式が大域的に 展開されたとき、近代的な個人に代わって、空っぽの器で
江戸の想像力 秩序は、マスメディアのようなクライアントサーバ型の 通信方式が発達し、大きな物語を共有できるようになる につれて、より静的な秩序である近代へと移行する。
構造と自由 自由とは、通信可能かつ応答可能な状態で、 判断基準がすり合わせられることだと思うと、
共にあることの哲学 コミュニケーションが成立するためには、通信可能な 程度に共有するものがある必要があるように思う。
共にあることの哲学 ことによって、すり合わせの過程は止まらずにいられる。 通信可能性と応答可能性によって、その終わらない生き生き とした過程を続けるのが、共にあることなのかもしれない。
共にあることの哲学と現実 通信可能性と応答可能性をもって、壊死と瓦解の間で 判断基準のすり合わせの過程を終わらせずにいるのが
聴覚AR 音源からの距離差を測定しないといけないので、音源と 各耳の三点に置いたデバイス間での通信にしないと、 十分な精度が得られないかもしれない。
VR, AR, Reality 通信技術が変化することで、物理的には遠かった 情報が共有できるようになったり、近かった情報を
VR, AR, Reality 比較的わかりやすい例だが、眼鏡、耳栓、望遠鏡、 顕微鏡、言語なども、現実を変化させる通信技術の 一種だと言える。
伝言ゲーム 情報も生成できるようになるだろう。 むしろ、人間というセンサ同士が通信する 過程において、誤り検出訂正の繰り返しに
伝言ゲーム 通信手段を制限したり、通信内容の冗長性を 廃したりすると、誤り検出訂正は難しくなる。
これがあれを滅ぼすだろう この中世から近世への変化が起きてからおよそ500年経ち、 通信術の生み出す網状の光の書物に支えられた〈帝国〉 によって、国家が滅ぼされる番が来た。
考える皮膚 皮膚や情報通信網、あるいは別の新しい 「皮膚」における触覚を通じて、内と外の
見知らぬものと出会う 判断基準という規則性を共有していないもの同士が 通信を始めるには、通信可能性の取っ掛かりを探る ための投機的な跳躍が必要とされる。
見知らぬものと出会う 一方で、一度確立されたと思った通信可能性も、 固定化してしまえば逆に通信を不要にしてしまい、
見知らぬものと出会う 固定化してしまえば逆に通信を不要にしてしまい、 通信が継続するには、通信不能にならない範囲での
見知らぬものと出会う 通信が継続するには、通信不能にならない範囲での 規則性の変化をもたらす応答可能性も必要になる。
ザ・スクエア する行為と、それを取り壊そうとする行為の、 いずれもが同様に通信不全をもたらす。
ザ・スクエア ザ・スクエアなしに通信可能性を手に入れるには、 その時、その場所で、その人々が、それぞれの
専門家と機械学習 学習を通して判断基準を最適化する。 この「効率的な通信網の構築による判断基準の 高速な最適化」というのがつまり専門分化であり、
HALF-REAL そのことを忘れられるためである。 通信範囲が拡がり、異文化、異人種、異種、異星、 といった存在に触れ、忘れていた判断基準に気づか
HALF-REAL 前者が強烈なハードウェアに強く依存しており、 通信可能な範囲内にいるプレイヤーのほとんどが そのことを忘れられるためである。
新記号論 ことになる。 ハードウェア的な部分によって通信可能性を確保し、 ソフトウェア的な部分によって応答可能性を確保した
新記号論 きっかけとして受け容れながら発散することで、 通信可能性と応答可能性を兼ね備えて、 壊死と瓦解の間で生き続ける。
ニッポン制服百年史 逸脱が時折装飾として導入され、その時々の 通信媒体によって伝搬されながら、空間を超えて 新しい同質性を形成していく。
自明 ということだ。 ハードウェアとソフトウェア、通信可能性と 応答可能性の話と同じである。
空気人形 その球体が動かされ、カランコロンと音がなる。 人間も人形も、案外そんなものなのかもしれないが、ハードウェアの違いは距離感を生み出す。玉子、目玉、睾丸というバタイユの「眼球譚」的球体幻想に支えられたドロドロな人間と、きれいなビー玉入りのラムネの瓶のように固く透明で空っぽな人形。燃えるゴミとなった純一を不気味に感じ、燃えないゴミとなったのぞみを貝殻のようにきれいだと思う。燃えるゴミと燃えないゴミの間には、残念ながら完全な互換性は存在しない。それでも、わずかな通信可能性communicabilityをきっかけに空気が動いて息吹になったものが、つまりは心なのだろう。
informationとdeformation デフォルメは、データを別様に解釈することで得られる情報であるが、元の情報とデフォルメの間には幾ばくかの同一性identityが残る。このとき、先に失われる同一性がソフト、いつまでも残る同一性がハードである。ソフトがなければ応答可能性はゼロであり、かたちは壊死している。ハードがなければ通信可能性はゼロであり、かたちは瓦解している。
深層学習による判断機構の技術的複製 学習によって生じる偏りのすべてが明示的であることは稀であり、暗に埋め込まれてしまう偏りも多い。判断機構を形成した範囲でしか通信が行われなければ露見しなかった偏りも、通信範囲の拡大とともに思わぬ形で現れることがあり、それが致命的な判断ミスとなれば当該判断機構は死を迎える。その屍の上に、時には多くを継承しながら、時にはあまり関係なく、新しい判断機構が生まれてくる。時代を追うごとに振幅が大きくなる判断機構の生滅の波を前に、効率を犠牲にしてでも消波したい派と、それでも効率を捨てきれない派が対立し、その対立が生滅の振幅をさらに増幅する。この不安定さこそが生命らしさだなと思う。
2019年 ドクタの学生だった頃は、考えたことをゆっくりと文章にする時間が取れたのだが、最近はなかなかそれも叶わず、記事の本数はめっきりと減ってしまっている。購入した本の数と読了した本の数は2017年や2018年と大差ないのだが、やはり言語化を怠ると考え事ははかどらない気がする。
その一方で、設計の実務が増えたり、展覧会や演劇を観に行ったり、演奏会をしたりと、身体的な実践のウェイトも少しずつ大きくなってきている。一対一・一対多・多対多、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚、言語・非言語など、物理情報を直接やり取りするコミュニケーションを通して、ソフトウェアとハードウェア、通信可能性と応答可能性、dataとinformation、除算モデルといった考え方を、実際の行いの中で確かめていきたい。