QUERY: 構造

本棚  内田祥哉「建築構法」  内藤廣「構造デザイン講義」
本棚  P.ジーベル「Coders at Work」  J.サスマン他「計算機プログラムの構造と解釈」  C.E.シャノン「通信の数学的理論」
読書録2  他者と死者(他社と支社と変換された)  寝ながら学べる構造主義  こんな日本でよかったね
科学・技術・工学 科学は、経験を帰納的に展開するという論理構造ゆえに、 常に誤差をはらむ可能性とともにある。
右ねじ これは、かつて前足が前を向いていたことの名残だろうか。 そういう視点で身体構造の進化学を見てみると面白いかもしれない。
hIE 演繹は入れ子にする意味に乏しいが、帰納は入れ子にすることで新たな意味を獲得する。 おそらく、再帰構造の中にしか、人間は人間性を見出せない。
mass マスコミュニケーションという形態自体が既に大衆を扇動するための 構造をはらんでいるのに、なぜいまさら取り沙汰されるのか。 20世紀に生きた人は、比較的テレビや新聞を「正しい」ものとして
自動翻訳 対応させる単語を変えたりする程度では大分限界がある。 インド・ヨーロッパ語族同士のように、文法構造が似通った言語 の間であればまだしも、日本語と英語のような場合は絶望的だ。
自動翻訳 RBMを何層も重ねたようなかたちにして、  表現の層⇔文法構造の層⇔意味の層 のような階段をある程度上まで登ってから、別のルートで降りる。
自動翻訳 富士登山で、山梨側から登って静岡側に降りるような。 言語構造が近い場合は、あまり上まで登らなくても すぐに同じ層に辿り着けるからすぐに降りてこれる。
golangでdxf dxfはENTITIES SECTIONの読み書きだけなら簡単だが、 他のSECTIONの構造について知らなかったので、 リファレンスを読みながら勉強中。
構造体に埋め込みがある場合のフィールド名 golangで構造体を初期化する際に、 フィールド名を付けた方式で書きたいのだが、
構造 鉄骨のラーメンフレーム、鉄筋コンクリートの壁床、木の軸組等が 思い起こされ、実際の設計では構造部材と非構造部材という カテゴリ分けもされる。
構造 しかし、構造という言葉の意味が上述のようなものであるとすれば、 建築においてある空間を成立させようとしたときに、
構造 構造と表現形式は同一である。 しかし、日本人、人間、脊椎動物と対象を拡げていくに従い、
構造 構造とは、2以上の事象間に見出される共通事項のことである。
構造 例えば、私と全く同じ人間が二人いたとして、その二人の間に見られる 物理的な身体の構造とは即ち私の身体そのものであり、 構造と表現形式は同一である。
構造 空間を成立させるための仕組みに対する、これまでの知見との共通事項を 探る行為にこそ、構造設計という言葉の本意があるのではないかと思う。
構造 しかし、日本人、人間、脊椎動物と対象を拡げていくに従い、 その構造は削がれていき、背骨、脳、頭蓋骨、半規管等といった より少ない要素に集約される。それに対応して、実際の表現形式は
構造 建築を含む工学の分野では、構造という言葉は
構造 新しい組み合わさった状態が得られる。 この「似たような」という部分にこそ、構造がある。 何をもって「似ている」とするのかが、
構造 建築構造という言葉の表面的な意味としては、 鉄骨のラーメンフレーム、鉄筋コンクリートの壁床、木の軸組等が
構造 事象が多種多様になることで一般化されるに従い、 より内奥の構造が得られる。
明・暗・照 三四郎池南側の池畔は、京都で寺院の中から見た庭と 同じ構造をしている。 光を透過させる障子と欄間の役割は植物によって果たされ、
明・暗・照 ロラン・バルトの言う空虚な中心や 河合隼雄の中空構造論との関わりはあるのか。
代数的構造 建築の構造を専門とするからには、 非常に重要なテーマであると言ってよい。
代数的構造 「代数的構造」から読み始めているが、 遠山先生の文章はとてもわかりやすい。
代数的構造 数学者が構造を作り出し、物理学者が実在と結びつける、 あるいは物理学者が必要な構造を依頼し、数学者が創造する、
代数的構造 あるいは物理学者が必要な構造を依頼し、数学者が創造する、 という例えは、建築家と構造家の関係にも似たところがある。
代数的構造 という例えは、建築家と構造家の関係にも似たところがある。
代数的構造 森敦の「現実的構造」と「実現的構造」をとれば、 実在する建築物や船、植物等から表面的な部分を捨象し、
代数的構造 実在する建築物や船、植物等から表面的な部分を捨象し、 そこに潜む共通事項を削りだしていくのが帰納による「現実的構造」であり、 応力伝達の在り方のようなものから公理を設定し、
代数的構造 応力伝達の在り方のようなものから公理を設定し、 トラスやラーメンといったものを創造していくのが演繹による「実現的構造」 なのだろうか。
代数的構造 友人に勧められた森敦の「月山」「意味の変容」を 読み進める中で、「構造」とは何かと考えることが多くなった。 建築の構造を専門とするからには、
時間 時間は順序的構造をもつ。 ここに決定的な違いがあるように思われる。
時間 それを順序付けることができたことで、時間という概念を抽象することができた。 あらゆる繰り返しの中に見出した構造を時間と名付け、 その構造体自身を扱えるようになったのも、人間を特徴付ける
時間 その構造体自身を扱えるようになったのも、人間を特徴付ける 抽象能力の賜物である。
時間 ブルバキ的に言えば、空間が位相的構造をもつのに対し、 時間は順序的構造をもつ。
六方位 進む方向が前、戻る方向が後と呼ばれる。 この概念が生まれるためには、そもそもその物体が非対称な構造を もっている必要がある。
六方位 果たしてここで左右に至るとき、右はどのように定義できるか。 人間の身体は、左右に関しては概ね対称な構造をもっているので、 そもそも左右という概念は前後に比べると必然性が低い。
六方位 言語の発生よりも前に、左右の概念を作るのは難しいだろうか。 (ここで「前」という表現が使えるあたりに、時間が非対称な構造を もつという共通認識があることがわかる。しかし時間に言及するときには
六方位 北半球と南半球で左右の概念が反転するということはなかったのだろうか。 まあおそらく反転していたところで身体の構造がほぼ対称なので あまり不便はなく、右と左にあたる語が逆に翻訳される程度だろう。
そして二人だけになった それよりも、 「これからの大規模構造物の設計でもっとも大きく、確率の高い外力はテロである」 といった話や、原子力発電の是非について勅使河原がインタビューを受ける話は、
そして二人だけになった 明石海峡大橋と大成建設が出てくる。 そして建築構造の話が盛りだくさんだ。 力学がわかる人間であればある程度フォローできるだろうが、
言語変化 「すみません」が「すいません」の変化も「m」の子音を経由するという 手間の省略だから構造としては同じだろう。 イ音便、促音便、撥音便等も発音のしやすさからの変化だが、
EX_MACHINA 着地点は違うが、エイヴァがケイレブにアナログハックを仕掛け、 ネイサンの忠告の中、ケイレブがどういった行動をするかという構造は、 遠藤アラトとレイシアの物語そのものである。
interfaceとchannel 構造体に構造体を埋め込めるので、あるinterfaceを実装した構造体を guiライブラリに依存しないかたちでつくっておけば、それを埋め込むだけでよい。
通信の数学的理論 1つだけ、シャノンが忠実度の評価関数の例として挙げた耳と脳の 構造に関連して着想できたのが、脳が音を時間領域ではなく 周波数領域で認識しているのかもしれない、ということだった。
通信の数学的理論 2016-02-27 追記 上記の耳の構造の件については、wikipediaの周波数領域の項にも 話が出ていた。
早すぎる最適化 自動運転車が独りでに暴走したときに起こした事故に対して、 所有者に責任があるか、という問と構造的には同じだ。
キャリブレーション 現代の構造解析では
キャリブレーション 果たして、変位と応力を既知のものとした上で、2と3を条件とすることで 1を未知数とするような構造解析は可能だろうか。
キャリブレーション もし上記の方式での構造解析が可能であれば、実験と解析の関係は 現状のものとは少し変わったものになっていくだろう。
部分 抽象もまた、構造という、異なる事象間の共通部分を抜き出す 行為であるから、全体を切り刻んでいく側である。
熊本地震被害調査速報会 こういうことをもって、現行の設計体系の不備を指摘するのは 的外れだと思うが、やはり建築の構造設計の考え方が一般に 知られていないんだなというのは痛感する。
熊本地震被害調査速報会 する必要がある。 構造設計の考え方や、施主としてどういったレベルの構造体を求めるのか といった話ができていれば、地震後に自宅に戻るのが安全なのかどうか
熊本地震被害調査速報会 こういう対話をするようになることで、建築士の立場も少しはよくなっていく ような気もする。そもそも世の中の建築士で構造が専門でない人達は ちゃんと一次設計と二次設計の思想がわかっているんだろうか。
熊本地震被害調査速報会 仕上げ等の構造体以外のグレードを落とすなり、建設費を増やすなり する必要がある。
熊本地震被害調査速報会 状態に留めたりすることまでは求めていない。 そこまで求めようと思うと、構造体にかかるコストは増大していくから、 仕上げ等の構造体以外のグレードを落とすなり、建設費を増やすなり
telexist 人体の神経系と同様の構造をもった回路に、 諸感覚器官と概ね同じ位置に配置したセンサを
意味付けと理由付け 原因と結果という前後関係に限らず、共起する関係も含む点では、 因果律と同値というわけではない。時間という順序構造を 認識するだけのバッファが得られて初めて因果律と結びつく。
可塑性 感情の特徴と脳の構造の特徴に相関があるというのはとても面白い。 中村雄二郎の言う体性感覚的統合を行う際に、脳の物理的な構造も
可塑性 年少時代の方が変化の幅が大きいのも、このあたりが関係するのかもしれない。 あまりにフレキシブルであることも不安定な構造を生みやすいので、 成熟するとともにハードウェアアップデートは止まっていくのだろう。
可塑性 変えられるのか、あるいは電気的な構造しか変えられないのかは、 センサとしての可塑性の高低に影響すると考えられる。
可塑性 中村雄二郎の言う体性感覚的統合を行う際に、脳の物理的な構造も 変えられるのか、あるいは電気的な構造しか変えられないのかは、
VRとAI VRはセンサシステムを所与のものとしたとき、入力情報の 構造を発見することを目的としている。 つまり、誤解を恐れずに言えば、情報が実在するとして、
VRとAI 一方のAIは、入力情報を所与のものとしたとき、システムの 内部構造を発見することを目的としている。 このとき、内部状態の再現程度を確認するのが難しいと
随想録1 AIは、入力情報を固定し、センサをパラメタとしている。 いずれも、入力情報とセンサからなる系の構造を抽象することを目的と している点では同じである。
情報の割り振り 連続的に入力される情報を、順序構造として 統合することで、時間認識が得られる。
情報の割り振り 連続的に入力される情報を、位相構造として 統合することで、空間認識が得られる。
情報の割り振り 位相構造と順序構造の違いと言い換えてもよい。
逃避 それは、意識とは何かと自問するのが意識でしか あり得ないだろうかという問いと似た構造を感じる。
美と合理性 美と合理性が一致しないのは、構造以外の要素も絡んでいること、 を端的に表している。
美と合理性 構造デザインの大家、坪井善勝先生の言葉に、
美と合理性 成り立っていく。 美と合理性が近いのは、建築にも構造の要素が絡んでいること、 美と合理性が一致しないのは、構造以外の要素も絡んでいること、
美と合理性 中でのコンセンサスによっておおよそ固まっていく一方で、 建築は、そういった構造の話もあれば、意匠、計画、設備、 音響、等々、様々な集団内あるいは集団間のコンセンサスで
美と合理性 合理性が構造技術者あるいは構造の研究者という集団の 中でのコンセンサスによっておおよそ固まっていく一方で、
生態学的知覚システム するとしている。 個人的な直感としては、情報に構造を与えることは知覚システム側 の処理なのでは、というところだ。それは特徴抽出によって行われ、
生態学的知覚システム 順序構造である。こういったものは、外的な情報がそもそももっているものだろうか。 それとも、抽象の過程で想定されるものだろうか。
生態学的知覚システム 知覚システムが情報を抽象する際には、空間も時間もないはずである。 ギブソンが隣接順序と継起順序と呼ぶものは、ブルバキ的に言えば位相構造と 順序構造である。こういったものは、外的な情報がそもそももっているものだろうか。
生態学的知覚システム 一点捉え方が異なるかもしれないと思ったのは、情報の在り方だ。 ギブソンは、情報自体が既に構造をもっており、その不変項を検知 するとしている。
ウロボロス こうしてできた、理由付けの再帰構造こそが、意識たり得るだろう。 現象学のような、全ては意識の織りなす世界であるという世界観は、
計算機と脳 直列と並列ではそもそも互換性が完全ではなく、 直列→並列の変換の際には論理構造や処理手順の変更が、 並列→直列の変換の際には追加の記憶装置が、それぞれ
カンデル神経科学第2章 第2章「神経細胞、神経回路と行動」では、神経細胞の構造と シグナル伝達の仕組みが概説される。
シン・ゴジラ 政府の対応にいらつき、ACジャパンのCMにうんざりし、ボランティアの活動に 感銘を受け、基礎構造だけが残る元市街地に呆然とする。 震災後は日本中がただただ落ち着きがなく、泣く暇もないままに1年、また1年と過ぎ、
知の編集工学 編集によって抽象されたもの自体を記憶するのではなく、編集=抽象の繰り返しに よって、その仕方を記憶している、という捉え方は、神経系の構造ともマッチする ように思う。つまり、神経系では回路の接続は、その回路の使用頻度によって
ロゴス これもまたウロボロスとなっており、古今東西の宗教というのは そういった構造をしているのかもしれない。
ロゴス というのは、輪廻からの解脱と同じ構造である。 髙田三郎による「演奏上の注意」の最後に、
L.C.L. そもそも、抽象過程によって構造が象られることで、意味という差異の 認識が可能になり、個々の具体ができあがるのだから、抽象の対極に
組織 維持の仕方には大きく分けると二つあり、 一つは構造によって維持される正義、 もう一つは理屈によって維持される正義、である。
組織 そうであったし、今ある組織もほとんどはそうである。 その種の組織では、正義を維持するための構造を抽象し、 その管理にコストを割くことで、正義を維持する。
科学と文化をつなぐ 次の大きなテーマなのかもしれない。 理由律にはその内側から挑むしかないように思えるが、そういった再帰的な構造は 理由律に依拠した意識の得意とするところでもある。
空間 空間という位相的構造は如何にして獲得され、しかもそれは 何故三次元なのか。
スタジオカラー10周年記念展 作り手としても残したい部分があるようだ。 これは、構造設計でも同じだろう。 どれだけ高性能なハードウェアやソフトウェアが
SHIROBAKO 建築では施主が原作者やスポンサー、意匠設計が監督や プロデューサー、構造設計や設備設計が脚本や演出、 現場監督が制作進行、職人が原画や3D、美術、声優等に
SHIROBAKO アニメ業界では原画上がりで監督をやったりする人も多い だろうが、建築では有名な意匠設計者や構造設計者に職人 上がりという人はほとんどいないように思う。
思考の速さで 悩みどころだ。 そして、構造解析はstをチューニング中である。 他人が作ったソフトウェアには、物理的身体の方を慣らすしか
思考の速さで 構造設計で言えば、電卓あるいはPCがその手の道具になる。 RPN電卓に対しては、自分自身の思考の方を適合させる
一面的な最適化 アルゴリズムによる構造体の最適化においては 想定した荷重に対しては最適だが、他の荷重に
一面的な最適化 建築の設計もまた同様で、意匠設計、構造設計、 施工監理、鉄骨製作等の様々な観点から整理
レヴュー 設計に関しては、意匠設計者が構造や施工 について案を練ることに熱心だったし、
意識に直接与えられたものについての試論 天文学者の話は、シミュレーションとエミュレーションの違いである。 シミュレーションでは、構造を抽象することで対象の延長的な性質のみを 考慮するおかげで、時間は単なる媒介変数として扱えるようになる。
いつかは意識として受け入れられることになるだろう。 それは、人種差別の歴史と全く同じ構造をもつことに なると想像される。
生命、エネルギー、進化 アルカリ熱水噴出孔の周囲における、エネルギーの 継続的な流れがつくる散逸構造が生命であるという 見方にも共感できる。
理由欲 実在には、時間も空間もないだろう。 それらはすべて、抽象によって見出される構造だからだ。 しかし、人間の無意識や意識が実在に触れることができず、
吹き溜まり その得体のしれない吹き溜まりを、吹き溜まり自身が シミュレートすることで、空間や時間という構造を 浮かび上がらせている。
細部のリアリティ ことであるから、ディテールは削ぎ落とされることが多い。 建築の構造解析であれば、実験のあらゆる境界条件を厳密に再現して、 実験とピッタリ同じ物理現象を再現することは重要ではなく、
人間機械論 抽象された構造としての島が、特定の抽象方法によってしか 形成されないのであれば、機械的あるいは宗教的であるし、
方法・手法・道具 言葉として抽象される。 手法それ自体は作業を進めるものではないが、抽象された構造を もっていれば細部は捨象できることや、伝達が容易になることから、
エントロピー再考 比較仮説というのは、順序構造を決めるということであり、 それはデータとしての情報を受け取ること自体に既に内包
フェティシズム 抽象した構造それ自体への愛からフェティシズムが生まれる。
フェティシズム 愛でるということである。 その共通部分がつまり、抽象した構造である。
フェティシズム 実際に愛される個々の対象は具象なのだが、それは目的の構造を 有していれば何でもよいということになる。
フェティシズム 究極のフェティシズムをなしている。 それを突き詰めた先に、抽象した構造の集合としての具象が あるのであれば、それはもはやフェティシズムではなくなり、
バグのないプログラム 最初と最後のモデルが同じ構造を有していれば よいので、理学的にはバグのないプログラムは
時間の非実在性エントロピー再考」における議論から、B系列のような 向き付けられた順序構造とエントロピーが関係しており、 時間とはつまり常に増大するエントロピーのことなのかも
より抽象的であること 抽象を怠り、個々の表現をそのまま構造と言い張るのは 問題外であるが、抽象された構造が極少数の具象にしか
より抽象的であること 問題外であるが、抽象された構造が極少数の具象にしか 対応していない場合も、言わば具象としての表現が構造と
より抽象的であること より抽象的というのは、抽象された構造からより幅広く 多種の具象へ落とし込むことができるような特性である。
より抽象的であること 対応していない場合も、言わば具象としての表現が構造と 膠着してしまっている状態であり、あまり興味がわかない。
せめて、人間らしく 与えられた抽象方法を遂行するのは得意な一方で、 どのような構造を抽象すると面白い結果になるかを 発想するのが不得意な人材が多いという嘆きに対し、
進化論の射程 処理が先行するため、心理的身体の特性は物理的身体の特性の 影響を被ることから、抽象される側に予め含まれる構造というのは、 物理的身体のセンサ特性を反映したものである可能性もあると思う。
進化論の射程 にあるのではないかと思う。 抽象される対象の中にもある程度の構造はあるかもしれないが、 抽象結果は抽象する側の理由の設定の仕方にも依存する。
進化論の射程 思考様式は一つの抽象過程であり、何を構造とするかについての 判断基準の違いによって差が生まれるが、その違いは理由の含み方
文化進化論 見られる対象の性質だけに焦点を当てて、 そこにある正しい構造が見い出せるはずだという 前提の下に議論を進めるのは、よく言えば楽観的、
文化進化論 のみ構造が発生するとしたら、どこに違いがあるのだろうか。 通信が不完全であることに鍵があるだろうか。
文化進化論 獲得するプロセスに通ずるところがある。 個体内での通信では構造が発生せず、個体間での通信によって のみ構造が発生するとしたら、どこに違いがあるのだろうか。
文化進化論 第6章の実験はどれも興味深いが、特に言語学の実験が好きだ。 人から人への伝達によって言語が構造を獲得するプロセスは、 第7章で示される、コミュニケーションによって科学が客観性を
GA JAPAN 145 人間とは何か、社会とは何か、災害とは何か、住まうとは何か、 構造とは何か、作るとは何か、あるいはこれらは何であるべきか。 そういうことに絡めながら読書をしていると、意匠設計者が
暴力と社会秩序 個人という、時間的にも空間的にも有限の発散の源から、 発散の構造を抽象することで、その制御が可能になる。 それは、人間が自らの物語を伝記から神話へと変換する
サピエンス全史 対する、「サピエンス全史」という邦題や、「文明の 構造と人類の幸福」という副題も腑に落ちない。
科学とモデル 無相に基づいている。 無相にはいろいろな構造を見出すことができるが、その いずれが見出されることになるかは解釈に依存する。
科学とモデル 複数の現象が存在し、その同一性が主題化することで解釈が生じ、 構造が抽象される。これがモデル化である。 そういう意味では、図5.3や図5.4は、現象に対応する対象システムと
科学とモデル モデルとは解釈された構造のことであるという命題には 同意できるのだが、構造が先にあり、それに解釈を
科学とモデル 同意できるのだが、構造が先にあり、それに解釈を 加えるという順序ではないように思う。
科学とモデル 解釈によって構造が暫定的にでも決まると、無相は 有相として抽象されたことになる。
科学とモデル 読み終えた。 個人的な構造の定義は、
科学とモデル というものなので、現象が一つしか存在しない場合には、構造は 想定できないと思う。
科学とモデル 投機的短絡によって決定されることもあり、常に変化 し得るが、解釈に先立って構造が決まることはない。 モデルとは解釈された構造のことであるという命題には
思考の体系学 意味付けは、経験的システム、分類思考、メタファー、 分類科学、チェイン、位相構造、パターン、空間に、 理由付けは、合理的システム、系統樹思考、メトニミー、
思考の体系学 理由付けは、合理的システム、系統樹思考、メトニミー、 古因科学、ツリー、順序構造、プロセス、時間に、 それぞれ相当する。
思考の体系学 抽象結果=構造を、短時間で効率よく伝えるために、ダイアグラムは とても有効であるが、インテルメッツォ(2)〜エピローグで強調される
思考の体系学 本書はダイアグラム論ということで視覚ベースの構造の表現のみだったが、 他の感覚器官、特に聴覚の場合についても興味深い。
音楽と言葉4 理由付けによって抽象された構造を外部化する過程として 言語を定義できるだろうか。
体で覚える構造建築の分野で言えば、例えば溶接はこれに当たる。 溶接工の体、溶接棒、溶接対象に位置センサを付け、
比較可能律あるいは樹状律と充足理由律 一意的なエントロピーが定義できることになる。 これはつまり、全順序構造をとるチェインでは時間的な前後関係が 確定できるということであり、逆に、擬順序や半順序であるツリーや
現代数学入門 数学に「構造」という言葉が持ち込まれたのはブルバキの 「数学の建築術」によるらしい。
現代数学入門 と書かれているように、「数学ができる」というのは、 物事の具体性を捨象して、共通部分である構造を想定 できるということだ。
現代数学入門 これとこれはこういう観点では同じだとみなすことで楽をしようと することが構造を抽象する過程であり、何かを認識することですら、 既に抽象を経ている。
現代数学入門 個々の知識の寄せ集めから理論をつくる過程、というように、 構造を抽象する過程は次から次へと連なっていき、著者も言うように、
現代数学入門 構造的にとらえること自体を構造的にとらえたのが数学であるから、 本来は、具体的な情報の集合から構造を抽象する過程として数学を
現代数学入門 本来は、具体的な情報の集合から構造を抽象する過程として数学を 学べるのがよいと思う。
現代数学入門 テスト問題と解法パターンを結びつけるのはまさにこれであり、 数学の成績がいい人間は、単に数学の知識がある以上に、構造的に とらえることについて意識的であることが関係していると思うのだが、
メッセージ 人間が観るためのものを映画というメディアで表現する ことが、順序構造によってオチをつけることを要求する のだとすれば、「あなたの人生の物語」のテーマをこの
メッセージ 事柄同士の順不同の関係によって出来上がる構造が示す 調和としてのストーリィがあり、ヘプタポッドが問うのは、
メッセージ 調和した絵画を眺めるようなものだと思われる。 そこには順序構造によって語られるストーリィの代わりに、 事柄同士の順不同の関係によって出来上がる構造が示す
恣意性の神話 もまた、示しと語りや意味付けと理由付けの違いと同じである。 線形性の含む順序構造はエントロピーや時間と同じ概念であり、 predecessorとしての理由を仮定する充足理由律と表裏一体である。
恣意性の神話 無相の情報は、観点というフィルタを通過することで有相となり、 構造を獲得することから、観点の種類に応じて記号が分類される。 慣習的記号と自然的記号、語りと示し、メトニミーとメタファー、
ゲーデル 遠山啓が「現代数学入門」で書いていたように、数学は 構造の科学であり、抽象そのものの在り方を扱う。 幾何学における平行線公準の真偽が、ユークリッド幾何学と
AIの責任 対する賠償金に充てられる。 AIが得る利益を払うのは使用者であるから、この構造は 結局のところ、事故の責任を使用者全体に拡げたもの
技術の道徳化 人間対技術、主体対客体、内部対外部といった近代的な 対比構造を乗り越えて、技術によって媒介される生を、 技術と同行していかに生きるかという問いとしての
都市と星 精神、東西陣営といった、いろいろな対比 構造になぞらえられると思うが、何であろうと、 一つの基準のみに従うこと自体がユートピア=
都市と星 サイバネティックス的な視点はとても好きだが、 同じ構造を幾重にも重ねているためか、少々 長ったらしく感じてしまう気もする。
意識と本質 井筒は、意識の構造モデルとして、表層意識(A)、「想像的」 イマージュの中間地帯(M)、言語アラヤ識の領域(B)、無意識(C)、
ゲンロン5 型を行う物理的身体と物語る心理的身体の共存が、そのまま同時に 時間的な共存でもあるという構造自体もまた、「幽霊的」に共存 しているというのがとても面白い。
神話と数学 人間が行ってきた理由付けの共通部分である構造を 抽象したものが神話である。
神話と数学 するためのものだと言える。 個々の経験から抽象した構造について物語ることで、 固定的でない、含みをもった体系が可能になる。
数学的と物理的 「数学的に同じ」というのは、ある現象同士が 同じ構造をもっているということであり、 要は同じ見方ができるということだ。
数学的と物理的 数学的に見るというのは、ある現象の特定の構造に 注目し、それ以外の部分を捨象することであるから、
胎児の世界 あらゆる搏動に構造を見出し、リズムとして抽象する。 「かつてのかなた」の搏動が、「いまのここ」の搏動に
何を構造主義として認めるか 間で集団を維持するにあたって適した状態だと思われる。 そのような視点をもてるのが構造主義的であり、それによってのみ ユートピア=ディストピアに陥らないユートピアを描くことが
何を構造主義として認めるか 事象間に共通部分が見出されることで通信が可能になり、 その際、共通部分である構造は通信プロトコルとなる。
何を構造主義として認めるか 通信プロトコルとしての言葉に着目することが構造主義者の 特徴となるわけだが、ここでは七つの規準が与えられる。
何を構造主義として認めるか 「1. 記号界」は現実界とも想像界とも異なる構造の世界であり、 そこは「2. 局所あるいは位置」が問題となるトポロジカルで
何を構造主義として認めるか 言葉による結合で溢れ、意味の過剰生産としての無意味な状況 にある空間において、特定の構造=言葉を見出すことで意味が 産出される過程は、抽象と呼べるものだろう。
何を構造主義として認めるか 産出される過程は、抽象と呼べるものだろう。 別の構造=言葉を見出すことによって別の意味を生み出すという 構造変動は、つなぎ替え可能な抽象=理由付けである。
何を構造主義として認めるか 構造変動は、つなぎ替え可能な抽象=理由付けである。
何を構造主義として認めるか 態度と呼称、あるいは関数と変数としての「3. 微分と特異」の 二面から構造は構成され、それは現働的actualの反対としての 潜在的virtualであるとされる。
何を構造主義として認めるか 潜在的virtualであるとされる。 構造は、微分化différentiéeされていることで、潜在的virtualで ありつつ実在的realでもある一方で、様々に受肉可能であるという
何を構造主義として認めるか もう半面として、構造は「5. セリー」的であることで機能する。 同一化されない複数のセリーが存在し、そこに含まれる項が
何を構造主義として認めるか 同一化されない複数のセリーが存在し、そこに含まれる項が 移動することで、構造は確定し、機能する。 セリー間での移動はメタファー=意味付け=空間であり、
何を構造主義として認めるか 空白の桝目を占めるものが現れることで人間という病に陥る。 「7. 主体から実践へ」で述べられるのは、その構造の二つの病に 陥らない主体になるための規準である。
何を構造主義として認めるか おそらく、構造を有することで微分化の意味ではある程度固定化 しつつも、投機的短絡によってサイコロを振ることで緩やかに変動
何を構造主義として認めるか ジル・ドゥルーズ「何を構造主義として認めるか」を読んだ。
共同体の基礎理論 というかたちで広く捉えた上で、「生産諸様式の土台 あるいは骨組」という構造が抽象されながら共同体が 崩壊していく過程を整理している。
共同体の基礎理論 この「固有の二元性」le dualisme inhérentという矛盾が 露呈することによって集団を支える構造が変化していく 様子を、アジア的形態→古典古代的形態→ゲルマン的形態
共同体の基礎理論 異なる判断基準間の軋轢が構造の変化の駆動力になるとすれば、 判断基準が一つしかないところでは構造は固定化したまま維持
共同体の基礎理論 判断基準が一つしかないところでは構造は固定化したまま維持 され、その判断基準や構造が真理のように映る。
共同体の基礎理論 され、その判断基準や構造が真理のように映る。 そこでは判断基準の共有によって規定される局所が大域として
共同体の基礎理論 認識されるという局所の大域化が済んでおり、もはや判断基準や 構造は意識されることなく埋め込まれている。 「固有の二元性」が必ず発生するのであれば、この状態から抜け
共同体の基礎理論 ゲマインシャフトは、構造が固定化して埋め込まれた状態であり、 ゲゼルシャフトは、通信の変化に付随して一時的に局所と大域が
共同体の基礎理論 ゲゼルシャフトは、通信の変化に付随して一時的に局所と大域が 分離することで構造が顕在化した、ゲマインシャフトからゲマイン シャフトへの移行の過渡的段階のようにも思われる。
プロトコル しているのに対し、分散型では潜在的virtualな意味で構造が存在する。 「誤り」は単に通信不能をもたらすが、「過ち」が通信不可として
プロトコル An At a NOA 2017-09-15 “過誤” 分散型には秩序や構造がないわけではなく、中心化や脱中心化では 通信の基盤の肥大化によって現働的actualな意味での構造が固定化
プロトコル 通信の基盤の肥大化によって現働的actualな意味での構造が固定化 しているのに対し、分散型では潜在的virtualな意味で構造が存在する。
プロトコル 中心化→脱中心化→分散という集団形態の変遷は、通信の基盤を 絞り込んでいく過程であり、それは構造主義的な見方を突き詰める ことで、通信可能性までたどり着いた。
プロトコル 弾かれることで、集団は中心をもつようになり、潜在的virtualにだけ でなく現働的actualに構造が固定化する。 現働的actualに構造が固定化した集団では、通信基盤に埋め込まれた
プロトコル 現働的actualに構造が固定化した集団では、通信基盤に埋め込まれた 善悪の基準が中心からの監視として現れ、集団からの逸脱が予防
プロトコル 善悪の基準が中心からの監視として現れ、集団からの逸脱が予防 されるが、潜在的virtualに構造が固定化した集団では、相互監視に よって逸脱が予防される。
プロトコル という構造主義の理想は、デジタルコンピュータの時代に可能に なるのかもしれないが、依然として善悪の基準を引きずることに
プロトコル なるのかもしれないが、依然として善悪の基準を引きずることに 慣れており、まだまだ現働的actualな構造が未分化な状態には 耐えられないように思われる。
プロトコル 通信可能性だけが残るまで削ぎ落とされたとき、潜在的virtualな 構造だけを基盤とした現実世界が、文字通りのVirtual Realityと してのユートピアになるのかもしれない。
プロトコル してのユートピアになるのかもしれない。 その世界では、もはや固定化された順序構造が共有されることは なく、時間は充足理由律とともに薄められているのだろう。
実在への殺到 ニュートラルな、無相の情報の流れがあったとして、何らかの 同一性の基準に照らして構造が抽出され、無相は有相の情報と して抽象される。
実在への殺到 ついていたことを彷彿とさせる。 おそらく、充足理由律が緩められるとともに、理由の連鎖の構造が チェイン→ツリー→ネットワークへとつなぎ替えられていくことで、
実在への殺到 可能性だけを担保する同一性の基準になることと同じである。 そこではもはや順序構造は一つに定められず、エントロピーの尺度も 一つではなくなるから、大域的な絶対時間ではなく局所的な相対時間
アローの不可能性定理 チェインでなく、ツリーやネットワークであれば 民主制が可能だったとして、チェインでない構造 からの選択はどのようにされるべきだろうか。
構造設計 しれないが、モデル化がAIの領分に含まれるのが気になる。 建てようとしている建築物に、どのような構造を見出すか、つまり 対象をどのようにモデル化するかこそ、構造設計という抽象過程の
構造設計 対象をどのようにモデル化するかこそ、構造設計という抽象過程の 一番の面白さだと思う。
北斎とジャポニスム 日本には線画の、フランスには面画の文化があるように思う。 これは、木材を使った軸組構造と石材を使った組積構造の違いと 関係あるだろうか。
江戸の想像力 近代にはつながらなかったものも近世にはあふれていた はずであり、それを捉えるには、近代的なチェイン構造 ではなく、ツリー構造やネットワーク構造として歴史を
江戸の想像力 ではなく、ツリー構造やネットワーク構造として歴史を 想定する必要があるのだろう。
宇宙際Teichmüller理論 あるいは自分と他人。 それぞれがもっている判断基準(環構造)が必ずしも完全には 一致しない場合には、コミュニケーション(リンク)の際に、
構造と射 射morphismは、対象objectの構造を保つものであるが、 射という視点によって保たれるものが構造であるとも言える。
構造と射 射という視点によって保たれるものが構造であるとも言える。
構造と射 設計においては、構造を設定して射を探すよりも、射を設定 して構造を探す方が面白いように思う。
構造と射 して構造を探す方が面白いように思う。
struo つまりは「構える」である。 その構造はいつか不可逆的に失われ、ひとまとまり だったものが分離する。
struo 「壊す」の対義語は「構える」だろうか。 構文解析のように、対象に構造を与えることが、 つまりは「構える」である。
struo construeには「理解する」という意味もあるが、 これは適切な構造を与えることが理解すること そのものだからだろう。
struo みなさい、ということを学生のときに教わった。 壊れ方や壊し方を知ることが、構造を知ることに つながるのだ。
struo 構造設計をやりたいなら、ものが壊れるところを みなさい、ということを学生のときに教わった。
デジタルデザイン Fの修正は、コストや施工性を見込んだデジタイズ にすることであり、Aの構造の修正は、新しい対象に 合わせた生産・施工体制を構築することである。
デジタルデザイン デジタルデザインをやるにあたって、デジタイズ という関手Fがどのような構造を設定するのかを 意識するのはもちろん大事だが、同じくらい大事
デジタルデザイン ここで言う構造は、力学的な構造に限らない。 受け取る情報をある判断基準をもって処理するとき、
デジタルデザイン その判断基準が何を同じとみなすかによって、必ず 何らかの構造が現れる。 自らのまわりにあるいろいろな判断基準を気にかけ、
デジタルデザイン 意識するのはもちろん大事だが、同じくらい大事 なのは、出来上がった対象に対してどのような構造を 見出すかであり、それをおこたるようであれば、
デジタルデザイン AやBを圏だと思えば、この対応付けは関手Fであり、 ある構造を設定することで自由度を減らすような、 自由構成関手だと言える。
デジタルデザイン virtualからactualへと戻る忘却関手である。 このとき、Aでは暗黙に前提されていた構造が Bにおいて解除されてしまっていると、コストや
デジタルデザイン スタディ後、圏Bの対象を圏Aの対象に戻す関手Uは、 デジタイズの関手Fが設定した構造を解除し、 virtualからactualへと戻る忘却関手である。
デジタルデザイン 忘却関手のような随伴になっていないということだ。 これに対処するには、関手FとAの構造のいずれかを 修正する必要があるだろう。
構造と自由 何を同じとみなすかの判断基準に依存して いることを踏まえると、構造と判断基準は 表裏一体である。
構造と自由 必要はあるが、柱や梁、筋違といった分類だけで 捉える限り、建築の構造はある枠内に留まる。
構造と自由 判断基準がすり合わせられることだと思うと、 「構造」という見方そのものが、本来的には 自由であるための足がかりになるはずだ。
構造と自由 判断基準がしっかりとしている必要があるが、 判断基準が固定化すれば、構造も固定化する。 力学やこれまでに建ってきた建築物を踏まえる
構造と自由 コミュニケーションが成立するには、構造や 判断基準がしっかりとしている必要があるが、
構造と自由 多くの対象から共通部分を抽出したものが 構造であり、共通であることの判断が、 何を同じとみなすかの判断基準に依存して
「シェア」の思想 「シェア」が「シェア」であり続けるには、 固定化と発散の間での構造の絶え間ない変化が 必要であり、論考を寄せた各人が目指している
「シェア」の思想 制度から外れたシェアであることによっており、 そこには構造の変化がみられる。
「シェア」の思想 しかし、その構造が固定化し、オーソライズ されてしまえば、「シェア」はシェアに戻る。
「シェア」の思想 群論的な発想で、同型射が保つ構造に着目した 構造主義が、必然的に固定化した構造を扱うこと
「シェア」の思想 構造主義が、必然的に固定化した構造を扱うこと しかできなかったのに対し、圏論的な発想で、
「シェア」の思想 しかできなかったのに対し、圏論的な発想で、 構造の変化を捉えようとしていると言うことも できるかもしれない。
ヨーロッパ的普遍主義 科学的普遍主義と変遷してきた近代世界システムの ヨーロッパ的普遍主義は、特定の構造を強化する ことで、一真教的に権力を固定化してきた。
貨幣論 言語や意識もまた、貨幣と同じ構造をもっているのであれば、 そこでもまた物理的身体が「価値の錨」となっているはずだ。
プログラミング言語と言文一致 話し言葉とは違った書き言葉としての構造がないと、 読みづらいように思う。
プログラミング言語と言文一致 対し、後者では全体を通じて設定された大きな 構造を軸に内容を把握していくことが多い。
プログラミング言語と言文一致 話したことを読めるようにするには何かしらの編集が 必要であり、文の構造としては、やはり書き言葉には、 話し言葉とは違った書き言葉としての構造がないと、
プログラミング言語と言文一致 いずれも、前者では個々のやり取りごとの小さな 構造を頼りに内容を把握していくことが多いのに 対し、後者では全体を通じて設定された大きな
簡潔データ構造 定兼邦彦「簡潔データ構造」を眺めた。
簡潔データ構造 自由エネルギー原理に従って抽象機構を生成すると、 簡潔データ構造になるだろうか。 簡潔表現にはなるような気がするが、簡潔索引は
3D-Printed Steel Bridge こういう構造物の安全性については、壊れるところを何度も 観察することで形成した力学的な直観で判断できることも
3D-Printed Steel Bridge 橋の側面がトラス状になっているのを見て、virtualなレベルでも 保存される形式こそ構造的だと言えるなということを考える。
資本主義リアリズム 個人へと収束していくと同時に、あらゆる仕組みが、官僚主義 的に非人格化された構造として埋め込まれることで、原因と なるべき「大いなる他者」には、ついぞ出会うことができない。
資本主義リアリズム 巧みに利用しつつ、その一点の先を雲散霧消することによって、 抽象的な構造はますます強固なものとなり、資本主義リアリズムが 強化される。
資本主義リアリズム 例えば、抽象的な構造を代表する中心としてAIを据えることで、 表面上は構造を具体化できるかもしれないが、リアリズムへの
資本主義リアリズム 表面上は構造を具体化できるかもしれないが、リアリズムへの 陥りに対する有効な手段になるだろうか。
資本主義リアリズム 行為主体性を押し付ける対象が健康やAIなどになったとして、 その状況がまた構造的に固定化してしまうのであれば、 「新たな記憶をつくることができない」というリアリズムが
系統体系学の世界 想像する。 文字通り一筋のチェイン構造としてはおろか、ツリー構造 としても表現しきれないのだろう。
系統体系学の世界 それでも何かしらの抽象を行うと、判断基準に応じた構造が 付与されると同時に、情報が失われる。
〈危機の領域〉 自分の専門である建築構造からすれば、2章から4章の例は どれも身近であったが、高度に専門分化した現代において
潔癖症 「清潔」や「きれい」をひたすらに目指す潔癖症は、 一つの構造を抉り出す過程であり、とても近代的で あるように思う。
神の亡霊 つながる相関の網の中に、因果と呼ばれる ツリー状やチェイン状の順序構造を埋め 込もうとする確信犯的過程において、
神の亡霊 近代が自由意志という細分化された先端を 創り出したように、順序構造の先端を担う 神の亡霊としての主体は、人間が意識を
神の亡霊 あるいは、人工知能の発達は、順序構造の 埋め込みを回避する方向に向かうのかも
神の亡霊 人体というセンサのフィルタリング特性が みせる構造に過ぎず、異なる物理的身体には 異なる環世界が広がるだろう。
神の亡霊 異なる環世界が広がるだろう。 情報の流れの中に構造を見出す抽象過程の 判断基準次第で、世界はいかようにも捉え
人はなぜ「音楽」をするのか? 発音、発声、聴覚、文章、身振り的な 情報の流れの中に、何らかの構造が抽象 できたとき、その情報が前者として対象化
衣と住 そう考えるとむしろ、「それの形状を維持する ための構造として、人間の身体を要するものが衣、 要しないものが住」の方がよいのかもしれない。
新しい実在論 ある構造をもっているということだ。 この場合、勝手な除算はできず、「よい」除算と
新しい実在論 除数で割ることであり、修正不可能性とは、除算に よって構造化される以前に、割られる対象自体が ある構造をもっているということだ。
新しい実在論 という超越論的誤謬を犯すのが構築主義だ。 それに対し、存在には認識に先立つ構造があり(つまり 構造的に不透明)、認識によってあらゆる構築が可能な
新しい実在論 構造的に不透明)、認識によってあらゆる構築が可能な わけではないというのがフェラーリスの立場である。
新しい実在論 わけではないというのがフェラーリスの立場である。 認識による構造化に対して現れる抵抗、すなわち構造の 修正不可能性が存在を特徴付けている。
新しい実在論 その抵抗は、単なる否定ではなく、認識による多くの 可能な構造化の仕方に対して真偽や優劣を与える規定 にもつながることで、肯定としてのアフォーダンスの
新しい実在論 そのような環境の中で、抵抗やアフォーダンスによって 引き起こされる、認識による構造化の仕方の変化こそ、 「存在からの思考の創発」であり、「思考は現実という
新しい実在論 さらに、認識によって新たに与えられた構造もまた、 記録されることで、認識から独立した修正不可能な構造
新しい実在論 記録されることで、認識から独立した修正不可能な構造 として存立することが可能になる。
新しい実在論 認識によって構造化=構築されたものを存在と混同する という超越論的誤謬を犯すのが構築主義だ。
新しい実在論 存在には認識から独立した構造がないという信念の下、 認識によって構造化=構築されたものを存在と混同する
新しい実在論 割り直してみる=思考することにつながる。 割られる対象の修正不可能な構造を、書き込みによって えいやで入れ込んでしまえるのが人間であり、個人的
新しい実在論 にはそれを投機的短絡と呼んでいたのであった。 投機的短絡において、えいやで入れ込んだ構造が 修正不可能になるために必要となるのが「理由」
日本史のしくみ こういうものを構造と呼ぶのであろう。
一般意志2.0 人間の生の無意識的な構造である一般意志が、 コミュニケーションなしに自動的に抉り出される
一般意志2.0 したビッグデータには、人間が想像する以上に 構造が埋め込まれている。 ルソーの一般意志は、その構造のことを概念化
一般意志2.0 ルソーの一般意志は、その構造のことを概念化 したものだろう。
ニッポン制服百年史 別の同質性が生じるとき、導入された差異は装飾、 元の同質性の基準は構造と呼ばれる。 装飾だったものは次第に構造となり、いつかまた
ニッポン制服百年史 装飾だったものは次第に構造となり、いつかまた 次の装飾が現れるまで、同質性は維持される。
ニッポン制服百年史 ことで、新しい集合が形成される。 ここには構造と装飾の関係が現れているように思う。 差異の導入によって、既存の同質性が解消され、
理解・意味・知識・科学 科学:
共通する経験を理解することによる知識の更新。ハードウェア的なデータ圧縮を、意識によるソフトウェア的なデータ圧縮でなぞる試み(科学が試みであることを忘れて、知識の更新が滞ってしまったら、それは似非科学と非難されてもしょうがない)。ハードとソフトの区別は、判断基準更新の緩急に対応する。意識に比べて相対的にハードであるほど自然科学として扱われるようになる。人間の集団もまた、大きくなるほど慣性を増し、ハードになっていくが、文化、言語、宗教、経済といった人間の集団がみせるみせる振る舞いは、意識に比べてそれほどハードでないことも多いようで、人文科学として扱われる(ある時点での集団の振る舞いを固定的なものとみなすことで、人文科学を自然科学に近付けることに成功したのが、構造主義なのだろう)。
理解・意味・知識・科学 この欠点は人間に認知限界をもたらすが、深層学習によって容量の問題が解決するなら、「理解」をより圧縮率の低いプロセスで置き換えることで、認知限界を乗り越えることができる。これが科学の高次元化の肝だと思うが、以前書いたように、深層学習には専門分化と構造的な共通点があり、高次元科学は専門分化と同じような利点と欠点を備えているように思う。 An At a NOA 2017-09-15 “専門分化
physical, logical, virtual, ethical logicalは、当該用途に関する構造を 表現可能な範囲で、最大限に圧縮する
坂田一男 捲土重来 抽象絵画に物質感があるのはどういうことなんだろうか。構造を抜き出して表現するのであれば、絵の具やキャンバスの質感を拭い去り、シンプルな形の構成に徹するのではないか。そんなことを考えながら絵を眺めていた。
縦書きと横書き 大きくて重い媒体(壁や粘土板)は、媒体は動かさず人間が動きながら読み書きする。媒体に合わせて文字も大きくなると、一文字ごとの相対移動量は大きくなる。人体の構造上、目や腕を大きく動かすには、屈伸運動をして地面に垂直に動かすよりも、歩いて地面に平行に動かす方が容易であるため、連続的に生じる相対移動は横、間欠的に生じる相対移動は縦とするのが自然であり、横書きが主流になったと考えられる。
1+2+3+4+1×2×3×4 最近やっと気付いたのは、構造力学というよりは、かたちに興味があるのだなということだ。form, format, formula, formation, information, deformation, ...。ただし、fromageはあまり好きではない。
土偶を読む 検証はとても丁寧に行われており、イコノロジーによる座標変換は概ね整合性を保てているように思われる。もちろん、屁理屈を捏ねれば土偶とは全く別のシンボルが存在した可能性は0ではないが、時代的・地理的な構造をかなりよく保つ変換が構成できているので、土偶とそのシンボルはほとんど同型なのではないだろうか。同型を除いて一意な場合、そのような仮想のシンボルはオッカムの剃刀で刈り取るべきである。
読む・打つ・書く 第3楽章「書く」
論文という断片を著書として体系化した経験はまだないが、学会での口頭発表のような速報的なものを査読付き論文にまとめる過程は、ささやかではあるが断片の体系化である。また、専門の建築構造分野では研究成果が設計に直結するケースもよくみられるので、論文→著書だけでなく、論文→設計というかたちでの断片の体系化もあるだろう。 建築の構造設計では、法律・指針・力学などの様々な体系に照らして安全であることを示すことが必要になる。すべてを既存の体系の枠組の中だけでやろうとすれば、当たり障りのない無難な設計に留まらざるを得ない一方で(壊死)、チャレンジングな設計をする際に既存の体系を全く無視していては、工学的・社会的・経済的などいろいろな理由で建たなくなる(瓦解)。読む・打つを通して積み重ねた既存の体系との断片的な差分によって体系を更新することが、つまりは書くことであり、壊死にも瓦解にも陥らない活動になるのだろう。
読む・打つ・書く 建築の構造設計では、法律・指針・力学などの様々な体系に照らして安全であることを示すことが必要になる。すべてを既存の体系の枠組の中だけでやろうとすれば、当たり障りのない無難な設計に留まらざるを得ない一方で(壊死)、チャレンジングな設計をする際に既存の体系を全く無視していては、工学的・社会的・経済的などいろいろな理由で建たなくなる(瓦解)。読む・打つを通して積み重ねた既存の体系との断片的な差分によって体系を更新することが、つまりは書くことであり、壊死にも瓦解にも陥らない活動になるのだろう。